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興味がない人は無理して読まなくていいんだぜ。

なぜブロックチェーンは自由なのか|第二回:ハル・フィニーとビットコイン

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ブロックチェーンやビットコインについては技術面やビジネス面の解説がたくさんされています。しかし、その背景にある「自由」や関わる人たちの情熱はあまり理解されていません。

多くの人はブロックチェーンやビットコインにビジネスの可能性を感じて惹きつけられているのだと思います。それ自体は悪いことではありません。でも、コインチェックやマウントゴックスのような事件がある毎にブロックチェーンやビットコインの背後にある理想主義も理解していてほしいと思うんです。なによりも自由が欲しかった。

開発者として、アマチュアアスリートとして、夫として

ハル・フィニーは1956年にカリフォルニア州コーリンガで生まれます。1979年にカリフォルニア工科大学を卒業して、フィル・ジマーマンが立ち上げたPGPに入社します。そして、同じ年にフランと結婚します。

ハルは2011年に引退するまでPGPに在籍します。アメリカでこれほど長く同じ会社に勤めるのはすごく珍しいことです、特にIT業界では。ずっと同じ場所で、同じことを続けました。フィル・ジマーマンはPGPの成功にハル・フィニーの献身は不可欠だったと振り返っています。

ハル・フィニーは良き夫であり、アマチュアのアスリートでした。妻のフランと多くのマラソン大会に参加しました。ハルはどちらかといえば長距離走が得意で、フランは中距離が得意でした。一緒に走ってもハルが少し長く走ることになりました。しかし、フランの方が長く走ることになります。

サイファーパンクとの出会い

サイファーパンクのムーブメントは90年代から活発化します。ハル・フィニーは1991年にサイファーパンクに出会います。そして、ハル・フィニーは1992年のサイファーパンクのニュースレターに以下のように書いています。

これは明らかなことだが、私たちはプライバシーの喪失の問題に直面している。薄気味悪いコンピュータ化、巨大なデータベースに中央集権。(DigiCashを開発した)チャウムは全く別の方向性を見せてくれた。その道は政府や企業ではなく、個人が自分自身の手で力を持てる。コンピューターは人々を自由にし、その自由を守るために使うことができる。人々をコントロールするためでなく—ハル・フィニー

エリック・ヒューズの『サイファーパンク宣言』では「サイファーパンクはコードを書く」と書かれています。そして、それを実行したのはハル・フィニーでした。エリック・ヒューズとハル・フィニーは共同でプライバシーを守るためのメールシステムであるremailerをPerlとCで開発します。例えばスノーデンのような人がNSAの秘密をremailerを使ってパブリックに流しても、追跡して個人を特定することができなくなります。

サイファーパンクにはビットコインでも使われるプルーフ・オブ・ワーク(PoW)を開発したニック・サボもいましたが、ハル・フィニーはそれを発展させて再利用可能なプルーフ・オブ・ワーク(RPOW)のプロトタイプを開発しています。これがビットコインのPoWの先駆けとなります。

サトシ・ナカモトから最初のビットコインを受け取る

2008年にサトシ・ナカモトは暗号化のメーリングリストにビットコインのアイデアとホワイトペーパーを投稿します。多くの約束が実現されなかったことでサイファーパンクの熱気は過ぎ去った時期でした。そのため、多くの人はビットコインのアイデアに懐疑的でした。

しかし、ハル・フィニーはRPOWを開発したばかりだったので、ビットコインに興味を持ちました。サトシ・ナカモトとハル・フィニーはメールでやり取りをしながらビットコインのバグフィックスをしていきます。サトシ・ナカモトからテストでビットコインが送られてきて、ハル・フィニー自体も自分でマイニングをしてみました。

マラソンのゴール

ハルとフランは2009年のアナハイムで開催されたディズニーランド・ハーフマラソンに出場します。二人のタイムは1:59.27でした。そして、ハルにとってはこれが最後のレースとなります。この前月、サトシ・ナカモトから最初のビットコインを受け取ってから9ヶ月後にALSと診断されました。アイスバケツチャレンジで有名になったこの病気に現在でも有効な治療法はありません。

私たちは30年も結婚してたんだから一緒に50周年を祝えるはずだって思ってた。ハルはきっと私より長生きすると思ってた。彼は健康だから。私がおばあちゃんになったらハルが面倒をみてくれるって思ってた—フラン・フィニー

今でこそビットコインの価値は上がりましたが、当時はまだそれほど価値がありません。貯えももらったビットコインも治療費で消えていきます。それを支えてくれたのはビットコインのコミュニティーでした。Wiredのアンディー・グリーンバーグが寄付を呼びかけます。

 ハル・フィニーはALSと診断され、体が動かなくなってもコードを書き続けました。ハルは走れなくなりましたが、フランを応援し続けました。フランにとってはハルがたとえ走れなくても一緒にマラソンにくてくれることが大事でした。フランにとってハルは良きコーチであり、それは技術的なことではなく、精神的なことだったのです。

参考文献

Bitcoin and me (Hal Finney)

Dying Outside - Less Wrong

The cypherpunk revolution

Meet Hal Finney, the Man Who Received the First Ever Bitcoin Transaction

In Finney home, Fran gives care, quality of life to husband Hal — Presidio Sports

RPOW - Reusable Proofs of Work

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