カタパルトスープレックス

興味がない人は無理して読まなくていいんだぜ。

書評|「豊かさ」実現のためリベラルはどう変わるべきか|"Abundance: How Progressives Can Win Back the Politics of Prosperity" by Ezra Klein & Derek Thompson

今回紹介するエズラ・クラインとデレク・トンプソンによる共著『Abundance(豊かさ)』は、アメリカの進歩主義者(リベラル派)が自らの政策アプローチを根本から見直す必要性を説く書籍です。カタパルトスープレックスニュースレターでAporia Magazineの記事を紹介しましたが、保守も様々な保守が存在します。それと同様に、リベラルにも様々なリベラルが存在します。リベラルにも保守に近いリベラルが存在して、「保守」と「リベラル」のような二極的な見方は必ずしも正しいとは言えません。

ニューヨーク・タイムズのコラムニストであるクラインとアトランティック誌のジャーナリストであるトンプソンは、バイデン元大統領やカマラ・ハリスのような主流派のリベラルがなぜ信用を失ってしまったのか、そして新しいリベラルはどうあるべきなのかを中道的なリベラルの立場で解説します。具体的にはアメリカの進歩的な地域・州政府が住宅危機を解決できず、インフラ整備に失敗し、イノベーションを遅らせているのかという問題に切り込みます。

Abundance (English Edition)

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リベラルの派閥:カマラ・ハリス、バーニー・サンダースとの違い

まず、本書を理解するうえで、アメリカにおいて「リベラルの派閥」について理解する必要があります。アメリカの政治には「リベラル」といっても幅広いスペクトルがあります。

エズラ・クラインとデレク・トンプソンは、アメリカのリベラルな知識人の中でも、とりわけ現実主義的かつ制度志向の立場を取る論者です。クラインは政治制度や政策設計の構造的な問題に強い関心を持ち、既存のリベラル政権(たとえばバイデン政権)を「改革のスピードが遅く、規制が過剰である」と批判します。トンプソンも同様に、過度な規制や慎重すぎる政治文化がアメリカの繁栄を妨げていると考え、経済成長や技術革新に積極的な姿勢を取ります。両者に共通するのは、従来の左派とも右派とも異なる、「大胆で前向きなビジョン」を提案しようとする点です。

これに対して、カマラ・ハリスは進歩的な価値観を持ちながらも、バイデン政権の一翼を担う体制内の政治家であり、政策判断も党内のバランスを意識した穏健なものが多いといえます。彼女は社会正義や環境保護などに積極的ですが、制度の根本的な転換を訴えるタイプではありません。以前に紹介したDEIを推進する立ち位置のアイリス・ボネットとシリ・チラジによる『Make Work Fair』はカマラ・ハリスと近いのではないかと思います。

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一方、バーニー・サンダースは現行制度に対して強い批判を持ち、医療や教育の無償化、富の再分配といった急進的な改革を主張する「民主的社会主義者」です。つまり、クラインとトンプソンはサンダースのような急進左派とも、ハリスのような体制内リベラルとも一線を画し、「豊かさと希望」をキーワードに新しい中道リベラルの立場を模索していると言えるでしょう。

なぜアメリカではリベラルの新しいアプローチとして「豊かさ」が注目を浴びるのか

この書籍はアメリカの政治について書かれた本ですので、その背景を理解しないと分かりにくいかもしれません。細かい部分では日本には当てはまりません。しかし、大きな幹の部分では日本の政治に当てはめても参考になる部分が大いにあると思います。

なぜ新しいアプローチが必要なのか

まず、なぜ新しいアプローチが必要なのかを理解する必要があります。本書において エズラ・クラインとデレク・トンプソンはアメリカにおけるリベラルの危機を訴えます。これまでの大統領選挙のようにスィングステイツ(保守とリベラルで拮抗している州)だけではなく、ブルーステイツ(民主党のシンボルカラーである青からリベラルが強い州)でも保守である共和党に票が流れたからです。カリフォルニアのようなリベラル王国ですら、リベラルへの信用が揺らいでいると主張します。

なぜアメリカは規制でがんじがらめになってしまったのか

著者たちはアメリカのリベラリズムはニューディール(1930年代にアメリカ合衆国で実施された経済復興策の名称)と共に生まれ、そのあと始末のために生まれ変わったとその背景を説明します。ニューディールにより自由主義的な小さな政府のアプローチから、政府が市場経済に積極的に関与するリベラルな大きな政府へと転換しました。

これは党派を超えた動きで、小さな政府を良しとする保守的な共和党も60年代から70年代にかけて数々の規制を作りました。共和党のニクソンも大統領時代には環境政策を打ち出しました。環境保護庁(EPA)の設立も国家環境政策法(NEPA)もニクソン時代のものです。

これを変えたのがレーガン大統領時代の新自由主義による保守回帰でした。そのあとの民主党のクリントン大統領も「第三の道」というこれまでの大きな政府をよしとする伝統的なリベラルからの脱却を目指して中道路線を進みました。

しかし、法律や規制は簡単に変えられるものではなく、1970年代以降、環境保護法や許認可プロセス、様々な付帯条件の積み重ねが、実際の建設や開発を著しく困難にしています。ニューヨークで地下鉄を1マイル建設するのに25億ドルもの費用がかかり、カリフォルニアの高速鉄道計画は350億ドルを投じても2033年までにマーセドとベーカーズフィールドを結ぶ一区間しか完成しない見込みです。

サンフランシスコの公営住宅建設には、小規模業者への発注義務、市長障害者オフィスによる審査、市芸術委員会の審査など、様々な要件が課されています。その結果、一戸あたり60万ドル以上のコストがかかり、建設には6年以上を要します。一方、同じ市内で民間慈善団体が建設したホームレス向け住宅は一戸あたり40万ドルで、3年で完成しました。カタパルトスープレックスニュースレターでYIMBYについてのニュースを取り上げていますが、規制による慢性的な住宅不足に住民も辟易しているということなのでしょう。

なぜ「豊かさ(Abundance)」なのか

エズラ・クラインとデレク・トンプソンの主張は非常にシンプルで5つの柱から構成されています。

  • Growできる政府
  • Buildできる政府
  • Governできる政府
  • Inventできる政府
  • Deployできる政府

すごく乱暴に要約してしまうと以下になります。

住宅問題を解決してカリフォルニアの人口が再び増える(Grow)ようにしよう。カリフォルニアの文化的衰退の象徴ともいえるCalifornificationを止めよう。成長にはインフラの建設(Build)が必要。成長と環境問題は相反関係にない。技術で環境問題は解決できる。太陽光発電はすでに石炭発電より安い。再利用可能エネルギーは環境問題を解決できるが、技術の問題だけでなく政治の問題が多い。風力発電も太陽光発電も多くの土地が必要。原子力も反対運動が起きる。

アメリカの規制は管理(Govern)できないほどに複雑になりすぎた。代表的なのは台湾や韓国のファブと競争してアメリカの製造業を復活させるために制定されたCHIPS法。

参考:カタパルトスープレックスニュースレターで取り上げたCHIPS法関連のニュース

経営難に陥っているインテルもこの法律で補助金を(ようやく)受け取ることができた。しかし、このCHIPS法もDEI的な規制がたくさんある。マイノリティや女性を登用することを条件にするのは素晴らしい意図だが、そこまでの規制は必要?本来の目的を阻害してまで?それで台湾や韓国に勝てる?DEIに関するやりすぎ感、つまり自分がアイリス・ボネットとシリ・チラジによる『Make Work Fair』に感じた違和感をエズラ・クラインとデレク・トンプソンも鋭く指摘している。

「豊かさ」は中道的なアプローチと保守への共感

これまで伝統的リベラルな民主党が推し進めてきたDEIに対する批判的な視点もそうなのですが、革新を推し進める(InventとDeploy)やり方についても保守に近い考え方を持っています。

アレキサンダー・カープとニコラス・ザミスカによる『The Technological Republic』はPalantir Technologiesの企業広報的な位置づけの書籍ではありますが、そのロジックはエズラ・クラインとデレク・トンプソンが本書で展開する革新を推し進める(InventとDeploy)やり方とそっくり同じだったりします。『The Technological Republic』でも着目していたのが、科学研究開発局(OSRD: Office of Scientific Research and Development )の前例でした。

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OSDRは政府がイノベーションのハブとなるモデルは成功事例として、アメリカ国立科学財団(NSF: National Science Foundation)やアメリカ国立衛生研究所(NIH: National Institutes of Health)が設立されました。しかし、NIHも住宅問題と同じでさまざまな規制で非効率になってしまい、機能不全に陥ってしまったとエズラ・クラインとデレク・トンプソンは批判します。ペイパーワークで本来の実験ができない。実があることより、リベラルのイデオロギーに沿っているかどうかが重要になってしまった。

NSFもNIHもトランプ大統領とイーロン・マスクによるコストカットの標的となっていますが、エズラ・クラインとデレク・トンプソンのような一部のリベラルも規制による無駄が多いと考えているというのは知っておいたほうがいいことなんだと思います。

また、比較的に保守よりな印象が強いレックス・フリードマンのポッドキャストにエズラ・クラインとデレク・トンプソンが登場したのも偶然ではないのでしょう。お互いに保守とリベラルに分かれますが、中道的な立ち位置なので共感する部分は多いのだと想像します。このポッドキャストでも二人はイーロン・マスク率いる政府効率化省(DOGE)の必要性に共感を表明しています。

伝統的なリベラルからの反発

本書の主張に対しては、批判も寄せられています。一部のリベラルは、この「豊かさ」は単なる成長至上主義で平等への取り組みを後退させるのではないか懸念しています。しかし著者たちは、再分配政策の重要性も認めており、問題は政府の拡大や社会福祉の充実ではなく、その前提となる経済的余剰の創出にあると主張しています。

また、テクノロジー企業の幹部や投資家の発言を代弁しているという批判もありますが、著者たちの議論は単純な「自由市場」論ではありません。むしろ、規制を「革新的」とみなすか「抑制的」とみなすかのイデオロギー的判断ではなく、実際の結果に基づいて評価すべきだという、実用的なアプローチを提唱しています。

 


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