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興味がない人は無理して読まなくていいんだぜ。

ジャック・マーとアリババ誕生と成長|長江のワニ

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アリババ(阿里巴巴)はジャック・マーと17人の共同創業者とともに1999年に設立されました。そして当時の動画映像はかなり多く残っています。なぜかと言えば、2000年に国際マーケティング担当役員として参加して十年間アリババで働いたポーター・エリスマンがドキュメンタリーフィルムを残す意図で当時からビデオ撮影をしていたからです。ジャック・マーも公開前提で撮影することを許可してくれたそうです。あと、ジャック・マーは映像が好きなんでしょうね。教師の頃の映像とか政府の役人との交渉とかとにかくたくさん映像が残っています。

これらの映像は『長江の鰐 (Crocodile in the Yangtze)』というタイトルで一般公開されました。幸いにしてボクはこれを公開前にシンガポールでポーター・エリスマン本人による上映会で観ることができました。日本ではあまり知られていないこの映画をボクが知っているのはそのためです。

英語がわかる人はそれを観るのが一番手っ取り早いです。英語は苦手、全部観るのは億劫という人のために要点をまとめてみました。

ジャック・マー最初の起業:翻訳会社

  • 杭州酒店に九年間自転車で通い、そこにとまる西洋人宿泊客を相手に英語の練習をする。独学で学んだ英語力で地元の大学で英語の講師となる(当時の月収は12米ドル)
  • 外国との貿易が増えたため、翻訳の需要が高まる。1991年に翻訳/通訳会社を起業。月の収入は700元程度で、家賃が2000元とのことであまり成功しなかった。
  • 翻訳/通訳の仕事の関係でアメリカ訪問。ロサンジェルスで詐欺にあい、傷心でシアトルの知り合いの家にとまる。そこではじめてインターネットと出会う。
  • 「ビール」と検索したらドイツのビールやアメリカのビールは出てくるが、中国のビールは出てこない。「中国」と検索しても何も出てこない。そこで、中国語のホームページを立ち上げてみたところ、アメリカ、日本、ドイツから問い合わせがあった。

二回目の企業:中国最初のインターネット企業

  • アメリカから中国に戻り、1995年に中国最初のインターネット企業『中国黄页(中国イエローページ)』を立ち上げ、広告事業をはじめる
  • 「世界はインターネットで情報を探す。中国の情報がないと世界の人たちが中国の商品を見つけることができない。だから中国の商品を買うことができない。」これが当時の基本的なピッチ
  • 1997年に中国貿易省の公式サイトとして中国製品のコマースサイトを立ち上げるものの、基本的にはうまくいかなかった。タイミングとしてまだ早かった。

三回目の企業:再出発とアリババの立ち上げ

  • Amazon、eBayといったコマースサイトだけでなく、CommerceOne、AribaといったB2Bのコマースサイトが立ち上がり、ドットネットバブルが起きる
  • 1999年に心機一転、アリババを17人の共同創業者とともに立ち上げる。ジャック・マーのアパートに全員に対してスピーチを行う。
    • 1995年のビジョンを実行する時が来た。
    • 競合は中国の企業ではなく、海外の企業。特にシリコンバレーのスタートアップ。
    • アリババは国際的な競争に勝てるグローバルなサイトでなければいけない
    • シリコンバレーのハードワークの精神を学ばなければいけない。3年から5年の間は誰にも負けないくらい集中して働かなければいけない。それができなければ成功しない。だからアリババのゴールは2002年のIPOする(これは2007年に実現する)。
    • ハードウェアとシステムではアメリカに負けるが、情報とソフトウェアでは中国は負けない
    • インターネットはバブルだと言われるが、バブルじゃない。バブルは個別の企業。常に新しい企業が現れる。アリババもその一つ。
  • 次の7ヶ月、ステルスモードのスタートアップとして17人の仲間はジャック・マーのアパートに引っ越し、共同生活を送りながら集中して働く。
  • 当時のアリババの仕組みはシンプルで、サプライヤーはアリババに商品をアップして、大量購入する企業顧客がそれを買う。
  • 当初売り上げはゼロ。しかし、ユーザーは増え続けて手応えを得る。
  • 1999年に台湾系カナダ人のジョセフ・ツァイがCFOとしてアリババに参画。ゴールドマン・サックス(500万ドル:約5億円)やソフトバンク(2000万ドル:約20億円)から資金調達を行う。
  • 資金調達後にステルスモードから公開モードに切り替え、香港での正式ローンチの準備を開始する
  • モバイルポータルサイトのシンラン(新浪)、サーチエンジンのソウフー(搜狐)などコマースサイトのイーチュー(易趣:のちにeBayに買収される)が前後してローンチする。

ドットコムバブルの崩壊

  • アリババが海外進出を開始した時期はドットコムバブルが崩壊した時期と重なり、インターネット企業に対しては厳しい目が向けられていた。アリババは当時は全く売り上げを上げていなかったので、ビジネスとしてどう成り立つのか疑問視されていた。
  • 海外メディアで露出が増えると、中国国内メディアの注目度も上がっていった。
  • イメージは膨らんでいったが、ビジネスとしては成立していなかった。中国国内の担当チームと海外担当チームの間にも歪みが生まれてきた。
  • ジャック・マーはこの歪みを解消するために英語のWebサイト開発とオペレーションをアメリカに移した。しかし、これは歪みをさらに悪化させたためにすぐに取りやめ、全従業員を解雇した。
  • 2001年にドットコムバブルが崩壊した。この頃まだアリババはマネタイズの方法が確立されておらず、調達した資金もなくなりはじめていた。そのあおりを受けてアリババも約半分の海外従業員を解雇した。

希望の兆候

  • 2001年に最初のマネタイズの方法を導入した。それはプレミアムアカウントでプレミアムアカウントは検索結果で上位に表示される。
  • それでも赤字は続き、資金の底が見えはじめたため、マーケティング予算をゼロにして、解雇をさらに進める。
  • 一年後にプレミアムアカウントの売り上げで黒字化を達成する。
  • しかし、すぐにSARSの感染がアリババ社内でも広がり、オフィスを締めなければいけなくなる。社員は全て自宅待機をする必要があり、社員一人ひとりがパソコンを自宅に持ち帰ってWebサイトの運営をリモートで行う。

eBayとの競争

  • eBayがアリババの中国における競合のイーチュー(易趣)に投資をする
  • 一部の社員はまだSARSの疑いで自宅待機だったが、これに対抗するために特別チームを結成する。そしてB2Cのコマースサイトであるタオバオ(淘宝)を数ヶ月で開発する
  • その翌月、eBayがイーチュー(易趣)の買収と中国でのeBayの本格参入を発表する
  • タオバオを正式にローンチして、最初の三年間は手数料を取らないことを発表。イーチューは当時まだ黒字化しておらず、eBayもウォール・ストリートからの中国への投資回収が期待されているため、この動きに追随しないだろうと判断。
  • eBayはイーチューをグローバルプラットフォームに吸収。中国国内で人気のあったイーチューの機能をやめる。
  • 2005年にタオバオがeBayを取引量で追い抜く。2007年にはさらに突き放すために追加で三年間の手数料無料を宣言。2009年にeBayは撤退。
  • この頃、eBayの株価が下がりはじめ、中国への1億ドル以上の投資が疑問視される
  • 2005年にeBayからパートナーシップの提案を受けるが、断る。その代わり、Yahoo!とパートナーシップを結び、40%の株式を10億ドル(約1000億円)で売却する(この時点でYahoo!がアリババの最大の株主になる)。同時にYahoo!中国法人がアリババ傘下になる。意図としてはGoogleや百度との中国での検索エンジンビジネスの競争。
  • Yahoo!の中国法人とアリババの統合はなかなかうまくいかなかった。
  • 過去にYahoo!中国が中国政府に対すしてメール通信記録を提供するという事件が発覚。このために中国人記者一人が拘束される。当時はまだアリババの傘下ではなかったが、法律には従わなければいけないと説明。
  • 2007年に香港で上場

まとめ

ドットコムバブル崩壊前に創業された中国スタートアップと現在を比べるのはなかなか難しいものがあります。ジャック・マーが今日の時点で英語教師だったら同じことができるでしょうか。歴史の「もし」はわからないですし、あまり意味もありません。Instagramの創業者であるロバート・シストロムが言うように「全てが運だとしても、運は自分の手で引き寄せるしかない」のです。そして、現在のスタートアップでもジャック・マーから学べることは多くあります。

ひとつは自分が熱中できることに集中すること。お金ではなく、自分が実現したいことのために働く。ジャック・マーの場合は「インターネットで世界のマーケットと中国のマーケットをつなげる」でした。

そして、もう一つがユーザーの価値を考えること。eBayが豊富な資金力にも関わらずタオバオに追いつかれ、追い越されてしまったのはこのためです。

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