これまで民主主義の敵といえば共産主義でした。しかし、ソビエト連邦が崩壊して「共産主義」が民主主義の敵ではなくなった。でも、民主主義は壊れる寸前だと警戒する識者は多い。民主主義の敵は「スピン独裁者」やフェイクデモクラシーだと考える識者もいる。ローレンス・レッシグも選挙制度の観点で民主主義の危機を訴えていますよね。
多くの議論お触れてわかるのは民主主義とは非常に脆弱な土台の上に成り立っていて、常に攻撃に晒されているということ。今回紹介するクイン・スロボディアンの『Crack-Up Capitalism』では民主主義の敵は資本主義、具体的には新自由主義のリバタリアンの世界になりつつあると警戒しています。
スロボディアンはまず世界が従来の国境より細かな無数の「ゾーン」に分裂している現状を示します。「ゾーン」の数は世界で5,400以上におよびます。経済特区、フリーポート、シティステート、ゲーテッドコミュニティ―。これらの特別区域は、民主主義的な監視の及ばない資本主義の実験場として機能しています。リバタリアンでも有名なピーター・ティールも「海上自治都市」を理想としてますものね。本書でスロボディアンはゾーンによって「分裂した資本主義」を「オフショアの群島経済」として描き、それを推進する新自由主義者であるリバタリアンたちの思想を明らかにしていきます。
「ゾーン」の資本主義を「オフショアの群島経済」として描き出した点にある。スロボディアンによれば、資本主義はもはや単一の国民国家の枠内では捉えられない。代わりに、タックスヘイブン、フリーポート、経済特区などが形成する複雑な「群島」として機能している。例えば、ロンドンの不動産市場では、2009年から2011年の間だけでも英領ヴァージン諸島を経由して80億ポンドの投資が行われ、2015年までには驚異的な1,000億ポンドのオフショア資金が流入しました。
これらのオフショアゾーンは、単なる「抜け穴」ではなく、グローバル資本主義の中核的な構造として機能している。これはオフショアだけではなく、アメリカやイギリスにも存在します。2022年の時点でアメリカは、スイス、シンガポール、ケイマン諸島を上回り、「違法な資産隠しやマネーロンダリングに最適な場所」としてタックス・ジャスティス・ネットワークに評価されています。デラウェア州とか有名ですものね。
この群島経済の形成過程を理解するため、著者は香港、シンガポール、ロンドンという三つの象徴的な「ゾーン」を分析していきます。
まず香港は、ミルトン・フリードマンが理想とした政治的民主主義から切り離された資本主義の実験場でした。低税率、規制緩和、私有財産の保護というその特徴は、後の「ゾーン」のモデルとなります。中国は改革開放期に、この香港モデルを深圳などで複製し、「ミニ香港」の銀河系を生み出すことで経済大国への道を歩みました。
シンガポールは香港とは少し異なる道を進みました。シンガポールは1819年にイギリス東インド会社の役人スタンフォード・ラッフルズがマレー王国と条約を結び、無関税の自由貿易港として確立。香港が民間の利害関係者主導で形成されたのに対し、シンガポールでは国家が中心的な役割を果たしました。サッチャーは欧州からの離脱後のイギリスのモデルとしてシンガポールを挙げ、社会保障の削減や規制緩和、労働者の権利制限を含む「シンガポール化」を提唱しました。
ロンドンのドックランズは、サッチャー政権下での新自由主義的再編の象徴でした。1980年代初頭、「ロンドンをミニ香港にする」という目標のもと、11の企業特区が設置されました。これらの特区では、地域の計画承認要件が免除され、10年間の地方税免除、商業建築物への資本控除が提供されました。ドックランズは金融資本を誘致するための国家主導のプロジェクトとして、開発業者への土地の割引提供や国家投資を通じて推進された。その結果、グローバルな富の安全な避難所となり、必然的に貧困層の排除をもたらし、香港同様の「大君(タイクーン)国家」への道を切り開きます。
スロボディアンはこの「群島経済」が帝国の遺産の上に築かれている点に着目します。イギリス帝国がスエズ運河から東南アジアにかけて築いた給炭基地や自由港の連鎖は、今日、ドバイやシンガポールが構築する港湾網の原型となっている。さらに中国の「一帯一路」構想も、インド洋沿岸に沿って同じような拠点と飛び地の連鎖を形成している。つまり、帝国は消滅したのではなく、形を変えて存続している。この「ゾーン」の増殖が、実は新しい形の封建主義への回帰を示唆しているとスロボディアンは指摘します。リバタリアンは中世の封建制に着想を得た新しい統治モデルを夢想します。彼らにとって理想的な世界とは、数千の小規模な政治単位が競争する世界であり、そこでは公法は崩壊し、私的な契約関係が支配します。
「群島経済」は民主主義的な統制を回避するシステムとして機能しています。それは単なる租税回避の問題ではなく、民主主義的な意思決定そのものを骨抜きにする政治的プロジェクトでもあると指摘します。例えば、ホンジュラスでの「特別開発地域」の実験は、国家主権の一部を「外部の管理者」に委譲するモデルを作り出しました。このような実験は、極右リバタリアンや新反動主義的な保守派にとって魅力的でした。なぜなら、それは国民国家の内部に特別な法的地位を持つ「植民地」を作り出すことを可能にしたからです。
スロボディアンは、三つの重要な「真実」を示して本書を締めくくります。第一に、これらの「ゾーン」は実は国家の「道具」であり、リバタリアン的な政治によって占有された国家の産物であるということ。第二に、富裕層の「民主主義からの脱出」の夢想は、結局は地球という物理的現実から逃れられない幻想に過ぎない。第三に、「ゾーン」にも住民が存在し、その権利は保護されねばならないということ。
1990年代に夢見られた「シームレスなグローバル化」の代わりに、私たちは特権的な「ゾーン」と放置された「犠牲地域」に分断された世界に向かっているのかもしれない。新自由主義と民主主義はやはり相いれないのか。
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