ドナルド・トランプの勝利に終わった2024年のアメリカ大統領選。その勝利の要因の一つに伝統的に民主党支持層だった南米系アメリカ人のラティーノが共和党支持に転じたことがあります。移民排斥のスローガンを掲げたトランプ前大統領に、なぜ南米系アメリカ人のラティーノたちは投票したのか。本書『Defectors(裏切り者たち)』でジャーナリストのパオラ・ラモスはこの予想外の現象の根源を事前に察知していたような洞察を展開しています。
おそらく日本人にとって「ラティーノ」は分かりにくい区分なのではないかと思います。そもそもラティーノは人種ではない。アジア系ラティーノもいれば、ネイティブ系ラティーノもいる。「アイデンティティー」のようなものです。ラティーノとは地理的・文化的・言語的なアイデンティティ を表す言葉で、主にスペイン語圏のラテンアメリカ出身者やその子孫 であり、かつ自分自身がそのアイデンティティに「自覚」がある人たちのこと。この「自覚」があるという部分が大事です。たとえばブルーノ・マーズは父方がプエルトリコ出身ですが、彼自身のアイデンティティを「ラティーノ」だと表明していません。
まずパオラ・ラモスは個人的経験にも照らし合わせてラティーノと一括りにすることはできないと言います。人種や民族ではなくアイデンティティなので、(彼女のように)白っぽいラティーノもいれば、黒っぽいアフロ・キューバンなラティーノもいる。パオラ・ラモスはラティーノの保守化の背景には三つの要因があり、それが複雑に絡まっていると言います。ひとつは部族主義(Tribalism)、ふたつめは伝統主義(Traditionalism)で、みっつめはトラウマ(Trauma)です。
まずは「部族主義」から。移民反対の考えは部族主義からきている。調査では移民への抵抗感は経済的な理由ではなく文化的なアイデンティティにある。日本でもそうですよね。移民が増えると日本らしさが失われるのではないかと恐れる。ラティーノにとってのアイデンティティのよりどころに一つがスペインをルーツに持つこと。パオラ・ラモスはこれを「アイデンティティのホワイトウォッシュ」と呼びます。コンキスタドールのファン・デ・オニャーテがコロンブスと同様に神格化された。
また、スペインの植民地政策のひとつである「ブランケアミエント(白人化政策)」の影響も大きいと考えられる。ひとつは異人種間結婚の奨励。ハイチ共和国とドミニカ共和国は一つのイスパニョーラ島にあるが、ハイチは元フランス領であったために人口の90%がアフリカ系の奴隷だった。一方でドミニカはスペイン領だったのでアフリカ系の比率はハイチより低く、混血が多かった。同じ島民でもドミニカ共和国の人たちはラティーノだけど、ハイチ共和国の人たちはラティーノではない。
また元スペイン領の白人化政策の一環として「白人としての身分証明書」を買うことができた。白人としての身分を買えば、土地の所有、投票権、結婚の自由などの特権を得ることができた。アメリカのラティーノたちの白人至上主義者たちが自分たちも「白人」とする論拠はこんなところにあったりもする。
つぎに、「伝統主義」の側面から。スペインの植民地ではカトリック教会の影響が強く、家父長制とジェンダー規範をラテンアメリカに根付かせました。アメリカではキリスト教の影響が徐々に弱まっていますが、ラティーノのキリスト教徒、特に若い世代のキリスト教徒が増えている。ラティーノの間で特に改宗の増加傾向が強いのが福音派とペンティコスト派。この二つの宗派は特に道徳的保守主義で、伝統的な家族観の維持を大切にしている。だから、中絶も反対だし反LGBTQ感情も強い。グルーミングと戦うゲイという極右の反LGBTQ組織に参加するラティーノも少なくない。トランプは大統領就任期間中に福音派諮問委員会を設置して宗教右派との関係意を強化しましたよね。そういう背景もあり、福音主義のほとんどはトランプ支持者。
アメリカには 約6,000万〜8,000万人の福音主義者 が存在するそうで、これはアメリカの全人口の約25〜30% に相当するとのこと。2022年の大統領選挙では白人福音主義者の約81% がトランプに投票したそうです。その傾向がラティーノの福音派とペンティコスト派にも波及しているということでしょう。また、アメリカにはメガチャーチ が増えている。メガチャーチとは定期的な礼拝参加者が2,000人以上 の大型プロテスタント教会を指します。フロリダにあるMinisterio Internacional El Rey Jesúsはスペイン語圏の最大級の教会で、勢力を拡大しています。これに加えてミエル・サン・マルコス (Miel San Marcos) という人気グループの存在もある。彼らはグアテマラ出身のキリスト教音楽グループで、テイラー・スウィフトのオープニングアクトも務めるくらいラテンアメリカ全域で高い人気を誇っています。福音派とポップカルチャーの融合も、ラティーノの若者層の支持を集めている要因の一つのようです。
最後にトラウマ。中南米諸国の多くは社会主義の独裁政権やギャングによる混乱の時代を生き抜いてきました。エルサルバドルのナジブ・ブケレ大統領はラティーノが崇拝する「混乱から秩序へ導く強い指導者」のステレオタイプを見出すことができます。ナジブ・ブケレ大統領は強権でギャング組織を壊滅に導き、エルサルバドルの治安を大きく改善しました。このように混乱期は民主的な「弱い」プロセスではなく、独裁的でも「強い」リーダーが必要という価値観がラティーノの間では強くみられる。そして、ブケレ大統領もトランプ支持を強く打ち出しています。
この「強いリーダー」の原型は「解放者」 (El Libertador) とも呼ばれているシモン・ボリバルにあると言います。たぶん、日本人にとっての織田信長のようなイメージなんだと思います。シモン・ボリバルはベネズエラ独立運動からはじまって、ベネズエラ・コロンビア・パナマ・エクアドルを合わせた地域を一つの共和国である大コロンビアとして独立させます。そのあとにペルーも開放して大コロンビア・ペルー・ボリビアの三つの国の元首となる。
ラティーノの数はアメリカで増え続け最大のマイノリティーとして影響力が拡大し続けています。しかし、「ラティーノ」はなかなかとらえにくい概念でもある。本書はこのように日本人にとってなじみがあまり深くない「ラティーノ」の解説書ともなっています。
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