2011年公開の『ル・アーヴルの靴みがき』は、アキ・カウリスマキ監督の「難民三部作」の第一作目であり、『ラヴィ・ド・ボエーム』(1992年)の続編的な作品です。前作でパリの貧しい作家だったマルセル・マルクスが、本作ではフランスの港町ル・アーヴルに移り住み、靴磨き職人として新たな生活を送っています。
監督独特の控えめでユーモアを含んだ語り口の中に、人間の善意と希望が静かに描かれています。
あらすじ|ル・アーヴルでの日常と難民少年との出会い
ル・アーヴルで靴磨き職人として暮らすマルセル・マルクス(アンドレ・ウィルム)は、妻アルレッティ(カティ・オウティネン)と共に慎ましい生活を送っています。アルレッティは病に苦しみ、日々の看病がマルセルの生活の一部となっています。
ある日、アフリカからの難民少年イドリッサが港に漂着し、警察に追われる状況を目にしたマルセルは、彼を匿うことを決意します。物語は、マルセルが少年を守るために取る行動と、それに関わる人々の日常を淡々と描きます。
テーマ|日常の中で描かれる善意と希望
アキ・カウリスマキ監督の作品は、男女が出会い、関係を築いていく過程が物語の中心となることが多いですが、本作ではすでに夫婦となったマルセルとアルレッティが描かれます。この点で、『ラヴィ・ド・ボエーム』との違いが際立っています。すでに老齢に達している二人なので、出会いというより別れに近い。
また、本作では難民問題という重いテーマを背景にしながらも、日常生活の中でごく自然に生まれる善意や、行動する人々の姿を描いています。劇的な展開は控えられ、登場人物たちの静かなやり取りや行動が物語の核となっています。
キャラクター造形|控えめな描写の中に見える人間性
マルセル・マルクスは、『ラヴィ・ド・ボエーム』で貧しい作家として登場したキャラクターですが、本作では靴磨き職人として再登場します。彼の行動は派手さはなく、ただ必要と思われることを静かに行うだけです。その控えめな描写が、彼の人間性や決意を際立たせています。
アルレッティは病床にありながらも夫を支える存在として描かれ、二人の間に長年連れ添った夫婦の絆が感じられます。一方で、イドリッサの描写は最小限に留められており、彼自身の背景や個性は深く掘り下げられず、むしろ周囲の人々の反応を通じて物語が進んでいきます。
映像と音楽|静けさの中に際立つ港町の情景
ル・アーヴルの風景が淡い色調で描かれ、シンプルでありながら印象的です。カウリスマキ監督特有の控えめな映像表現は、物語に穏やかで深い余韻をもたらします。
また、劇中に登場する実在の地元歌手リトル・ボブの存在が、作品に温かみと現実感を加えています。音楽も物語に自然と溶け込み、場面を過剰に強調することなく、登場人物たちの日常を支えています。
まとめ|『ラヴィ・ド・ボエーム』の続編としての静かな物語
『ル・アーヴルの靴みがき』は、『ラヴィ・ド・ボエーム』と同じキャラクターを引き継ぎながら、新たな舞台とテーマで描かれた作品です。男女の出会いを描かない本作は、監督の他の作品と異なる独自性を持ちながら、静かで含蓄のある物語を紡ぎ出しています。
難民問題という現代的なテーマを背景にしつつも、押しつけがましい社会的メッセージを排し、日常の中でのさりげない善意や小さな行動を描くことに重点が置かれています。派手な展開はありませんが、観る者の心に静かな印象を残す一作です。