今回紹介する『Lower than the Angels: A History of Sex and Christianity』の著者であるディアマイド・マッカロクは、キリスト教史を専門とするイギリスの歴史家です。1995年からオックスフォード大学セント・クロス・カレッジのフェロー、1997年よりオックスフォード大学教会史教授を務めています。
ディアマイド・マッカロクはこれまでキリスト教の歴史とジェンダーに関する書籍を数多く出していて、BBCのテレビシリーズにもなりました。宗教の教義そのものより、その教義が歴史的背景の中でどのように変化してきたかに着目しています。宗教的な「真実」より、歴史的な「事実」に重きを置いています。
そんなマッカロクの新著『Lower than the Angels: A History of Sex and Christianity』はその集大成的な作品で、キリスト教の性、性別、結婚、身体に対する見方が約3000年にわたってどのように進化してきたかを考察しています。
本書のテーマ:歴史の中で変化する「性の神学」
キリスト教の経典である聖書は様々な時代の様々な著者による文献を集めたアンソロジー的なものです。イエス自身が書いたものでも、その弟子たちが書いたものでもありません。矛盾する部分もありますし、解釈の余地が大いに残されています。キリスト教の教義は解釈の余地が大きいため、原始キリスト教からさかのぼって3000年間、時代に合わせて変化し続けてきました。キリスト教の教義の変化は歴史を映し出す鏡ともいえます。
マッカロクは、聖書における性に関する多くの言及が曖昧または文脈依存的であり、その後の教会の教義は、イエス自身が直接教えたものよりも、歴史的な恐怖や幻想に由来するものが多く含まれていると示しています。(実際、イエスは同性愛、自慰行為、女性の社会的役割について何も言及していないとされています) しかし、ある時代には独身同士の同性愛が理想化されました(一部の修道共同体において)が、他の時代には同性愛行為が死刑に相当する罪として非難されました。
本書の構成:時系列でみるキリスト教3000年間の変化の歴史
序章では、古代ギリシャ、ローマ、ユダヤ教の性的価値観が初期キリスト教に影響を与えた過程を解説し、新約聖書時代のイエスやパウロの教え、初期共同体の教義、例えばパウロによる独身の推奨と結婚の容認などが考察されています。
初期教会から中世にかけては、処女性や独身生活が極端なまでに称賛されましたが、マッコルコはこれを指導者個人の不安の反映とし、一貫した教義ではないと指摘します。禁欲主義と修道院の独身制が広まり、特に11世紀のグレゴリウス7世の改革による司祭独身制の義務化は「最初の性革命」とされます。この時代、結婚は私的な契約と見なされ、神学的には独身制より下位に置かれていました。
近世のプロテスタント改革は「第二の革命」と位置づけられ、強制的な独身制が否定され、聖職者の結婚とキリスト教的家庭が理想とされました。結婚と出産が再評価され、カトリック教会でもトレント公会議で結婚が秘跡として標準化されましたが、聖職者の独身制は維持されました。これにより、家族という価値観がキリスト教内で重視されるようになりました。
近代以降、啓蒙思想や科学、社会運動がキリスト教の性倫理に影響を与え、避妊、女性の平等、同性愛といった問題が新たな議論を呼びました。著者は、ヴィクトリア朝の厳格な性道徳など、多くの「伝統的」教義が実は比較的新しい反応であることを指摘し、教会が性革命や性に関する新たな理解に苦闘してきた現代の姿を描き出しています。
歴史書としてのハイライト
ディアマイド・マッカロクはゲイ・クリスチャン運動であるOneBodyOneFaithにずっと関わっていて、一貫してキリスト教におけるジェンダー問題について取り組んできました。イングランド国教会の執事に叙階されたものの、同性愛に対する教会の態度を理由に司祭職への叙階を辞退しました。キリスト教を研究の主題としながら、歴史家として教義については冷静に観察し続けたとも言えます。
自分自身は不可知論者(Agnostic)であり、宗教のような目に見えないものは興味がありません。むしろ、嫌いです。でも、宗教は人間が歴史の中で作り上げてきたもので、その成り立ちについては非常に興味があります。宗教としての教義には全く興味がありませんが、神学としての歴史には興味があります。
以下は不可知論者の自分が本書において個人的におもしろいと感じた観点です。
哲学の系譜の一部としてのキリスト教
原始キリスト教はユダヤ(イスラエル王国)生まれ、ギリシャ(古代ギリシャ及びその後継のローマ帝国)育ちな側面があります。宗教としてはユダヤ教をルーツとしていますが、ソクラテスやプラトン、アリストテレスなどギリシャ哲学の影響も多く受けています。キリスト教のセクシュアリティーやジェンダー観もユダヤ的な見方とギリシャ的な見方がミックスされているため、本書でも詳しく解説されています。
哲学の歴史はギリシャ哲学からキリスト教を経て発展してきた側面があります。具体的にはプラトン的なイデアの概念とキリスト教の一神教的な概念が結びついた新プラトン主義などがあります。そうなるとキリスト教から哲学者が生まれるのも自然な流れとなり、その代表が聖アウグスティヌスであり、その後継ともいえるトマス・アクィナスです。彼らの自由意思についての考え方や、自然法についての考え方がのちの西洋哲学に引き継がれていきます。本書においてもセクシュアリティーやジェンダーもこの大きな流れの中で考察されています。
政治と宗教:キリスト教圏とは
キリスト教とほかの宗教との大きな違いは政治との結びつきな気がします。イスラム教もカリフ制やシャリーア(イスラム法)など宗教と政治が強固に結びついている密結合の関係にありますが、キリスト教は政教分離とはいえ疎結合の関係にあります。
キリスト教はコンスタンティヌス帝の時代にローマ帝国でも公認され、その後、テオドシウス帝で国教となりました。ローマ教皇は初期のキリスト教においてはローマのビショップ(監督職)ですし、いまでもBishop of Romeです。ローマ皇帝は様々な理由でローマ以外を拠点とすることがありましたが、ローマのビショップは(ローマのビショップですので)ローマにい続けました。
西ローマ帝国が弱体化していく中でローマ皇帝の影響力に陰りが見える中、ローマのビショップ(教皇)がその存在感を増していきます。これはアウグスティヌスの「二つの王国(世俗的なものと精神的なもの)」の考え方が影響しています。国境で分かれる実際の国が世俗的なものであれば、キリスト教圏(Christiandom)は(カトリック教徒であれば)ローマ教皇を中心とした精神的なものといえます。
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一方で仏教はイスラム教やキリスト教と違い、国をまたがった政治と宗教のつながりが薄いような気がします。もちろん、徳川家康にとっての天台宗の南光坊天海など、僧侶がブレーンになることは多かったとは思いますが、それは日本ローカルな話でした。同じ仏教国のインド、中国やタイなどの東南アジアの国教をまたがる仏教の権威は存在しませんでした。これはイスラム教のコーランやキリスト教の聖書など統一した経典がないことも原因なのかもしれません。法華経ですら宗派の一つですものね。
西洋と東洋の違い:なぜ民主主義と自由主義はアジアで生まれなかったのか
ここからは完全に横道にそれてジェンダーと全く関係ない話になってきます。民主主義や自由主義はキリスト教とギリシャ哲学の融合を起点としてヨーロッパを中心に西洋で長い時間をかけて発展してきた概念です。
本書を読んでいてキリスト教の世界観がどのように変化しながら広がったか見ていくことができるわけですが、一方で同じようなことがなぜアジアで起きなかったのかも考えてしまいます。また、本書のようにキリスト教を学術的、歴史的にひも解く書籍は数多くあるのですが、同じような書籍は仏教や儒教では見当たりません。
これはひょっとしたらボクが無知なだけで、東洋には東洋の現代に生きる思想体系があるのかもしれないし、仏教におけるジェンダーやセクシャリティーのような興味深い書籍があるのかもしれない。そのため、断定的なことは言えないのですが、本書を読んでいて浮かんだ疑問の一つではありました。
