カタパルトスープレックス

興味がない人は無理して読まなくていいんだぜ。

書評|米ドルの覇権が衰えていることより、むしろ日本が心配になる|"Our Dollar, Your Problem: An Insider's View of Seven Turbulent Decades of Global Finance, and the Road Ahead" by Kenneth Rogoff

自国通貨と経済と政治の関係をはっきりと理解している人ってそれほど多くないのではないでしょうか。ボクもあまり偉そうなことを言えなくて、「日本円が強いと海外の製品が安く、日本円が弱いと海外の製品が高くなる」くらいの認識しかありませんでした。世の中の一般的な社会人の方々はもっと詳しく理解しているのかもしれませんけど。

今回紹介するケネス・ロゴフ教授の新著『Our Dollar, Your Problem』はまさに自国通貨と政治と経済の関係を理解したい人にお勧めです。この本の趣旨は米ドルとアメリカについての話ではあるのですが、米ドル覇権社会の現在において、米ドルの理解なくして、自国の日本円の理解もありません。


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米ドルが支配的な国際通貨になった背景とインフレーション対策

本書ではまず、なぜ米ドルが通貨の覇者になったのか、歴史的な説明から始めます。米ドル以前にもネーデルラント・グルデンやイギリス・ポンドが国際通貨として流通していた時期もありました。しかし、1944年のブレトン・ウッズ協定以降、世界の為替レートは米ドルに固定(ペグ)されドルの国際通貨としての覇権がはじまります。ロゴフ教授は米ドルは、国際通貨の覇者としてはピークを過ぎ、(ほかの通貨にとってかわられることは当分ないものの)徐々にその影響力を弱めていくだろうと本書で予測しています。

ブレトン・ウッズ協定で世界の為替レートは米ドルに固定(ペグ)されましたが、1971年のニクソン・ショックにより変動制に変わりました。当然ながら世界は大騒ぎとなったのですが、当時の財務長官だったジョン・コナリーが言い放ったのが、この本のタイトルともなっている「Our Dollar, Your Problem(ドルは私たちのもの、問題はあなたたちのもの)」でした。インフレに対応するには固定相場より変動相場の方が優れているという「ワシントン・コンセンサス」が一般的になりました。

一方でアルゼンチンなどハイパーインフレーションに苦しんでいる国々は変動相場だけでは乗り切れずに固定相場を維持しようとしました。とはいえ、アメリカの支持がない一方的な固定(ペグ)だったので、これも破綻してしまいました。これを「ブエノスアイレス・コンセンサス」とロゴフ教授は名付けています。

そして、完全な変動相場制「ワシントン・コンセンサス」の有効な代替案としてロゴフ教授が挙げているのが彼が「東京コンセンサス」と呼んでいる中央銀行の介入による管理された変動相場制です。日本は大量の米ドルを市場介入のため備蓄しています。このコントロールされた変動相場制が先例となり、主にアジアの国々を中心に「東京コンセンサス」の大量の米ドル備蓄がされるようになりました。外国が米ドルを備蓄することにより、アメリカはさらに低金利を実現することができます。

米ドル覇権の恩恵

さて、なぜ米ドルが国際通貨として覇権を握っていると、アメリカはうれしいのでしょうか?たとえばですが「ドルの兵器化」といって他国への経済制裁に使えたり、政治的にも有利です。しかし、一番大きいのは「法外な特権(exorbitant privilege)」といって、他のどの国よりも低い金利で巨額の資金を調達できる能力です。

海外の中央銀行だけで3.7兆ドル(約547兆円)、民間の投資銀行などを含めると総額8兆ドル(約1182兆円)を超える米国債が海外で保有されています。この絶大な需要があるからこそ、米国は低い利払いで巨額の財政赤字をファイナンスできます。ロゴフ教授は、これにより米国の借入コストが0.5%から1.0%程度低くなっていると試算していて、この恩恵は住宅ローンや自動車ローンといった形で一般消費者にまで及びます。

借金がどれだけ許容できるか問題

2008年の世界金融危機(GFC)以降の期間は、持続的な低金利、緩やかな成長、高水準の公的債務によって特徴づけられます。問題は「高水準の公的債務」がどこまで許容できるのかということです。多くの経済学者は「持続的な低金利」と「緩やかな成長」が続き、成長が金利を上回れば問題ないとしています。つまり、金利が経済成長率を下回る「r < g」の状況が続けば高水準の公的債務は持続可能であり問題ないという、MMT的思考を支持しています。

一方でケネス・ロゴフ教授は公的債務は持続可能ではないという立場を取っています。具体的にはGDPに対して責務額は90%未満でないと経済成長に影響する、つまり「緩やかな成長」に影響するという立場をとっています。この膨らみ続ける財政赤字に対処しないと、米国と全世界は「平均実質金利とインフレ率の上昇を伴う、かなりの期間の世界的金融の不安定性」に直面するリスクが大きいと主張しています。

借金をどうやったら減らせるのか

現在主流のMMT的思考では、借金は問題ないという立場を取っているので、そもそも「借金をどうやったら減らせるのか」を考えません。増税をせずに、債券を発行するだけで資金調達ができるので、政治家にとっても非常に都合のいい立場となっています。しかし、ロゴフ教授は無限に債券を発行すべきではない(無限に借金すべきではない)という立場を取っています。

増税は選挙でも不利になるために政治家としてはあまりやりたくありません。しかし、痛みを伴わない責務の返済方法はありません。借金を減らす方法は大きく分けて三つあります。ひとつはデフォルト(債務不履行)です。もう一つはインフレです。物価が上昇して通貨の価値が下がれば借金の総額も減ります。この戦略は第二次世界大戦終結時に日本やフランスといった国々によって大規模に実践され、その巨額の債務負担を軽減しました。

最後が金融抑制です。金融抑圧は、完全な債務不履行や明確な富裕税と比較して、「より巧妙で」「量的に重要」であると特徴づけられています。このことは、そのコストが国民に直接的に見えにくく、政府の行動に帰属させにくいことから、政治的に魅力的な選択肢であることを示唆しています。それは「金融市場の統制と制限の網」を通じて機能し、貯蓄者や債券保有者に対する「ステルス課税」の一種となりますこの三つは直接的な増税ではありませんが、大きな痛みを伴うものです。

それが日本にどう関係してくるのか?

巨額の責務という観点でいえば、アメリカも日本も同じです。アメリカのGDPに対する総公的債務(連邦政府の債務)は120%を超えています。しかし、日本のGDPに対する一般会計総債務(中央政府の債務)は約235%です。つまり、日本の場合は既に閾値である90%をはるかに大きく超えています。MMT派閥は日本のこの状況を例として「高水準の公的債務」は問題ないとしています。

ロゴフ教授の取る立場が正しい場合、日本はアメリカよりさらに大きなリスクを抱えていることになります。しかも、日本はアメリカよりも地政学的にも通貨的にも経済的にも弱い立場なので、実際に金融危機が起きた場合に取れるオプションは非常に限られてきます。

本書でも触れられていますが、日本円は1980年代にドルに次ぐ国際通貨としての立場を確立できたチャンスがありました。しかし、日本政府は政策を誤り、経済バブルを発生させてしまい、日本は「失われた30年」を経験することになります。しかし、ここでまた政策を誤ると「失われた40年以上」に入ってしまう可能性も否定できません。