今回紹介する『Saving Time』の著者であるジェニー・オデルはアーティスト兼作家です。アーティストとしてはGoogleマップなどオンライン環境からの画像を活用し、現代のネットワーク化された存在の物質的な側面を強調する作品を制作しています。作家としては『何もしない』が日本でも翻訳出版されています。『何もしない』は現代社会における注意力の重要性と、それを取り戻す方法について語られていますが、本書もその延長線上にあります。
本書のテーマは「時間」です。現代社会が支配される「時間」の概念を深く掘り下げ、その歴史的背景から新しい捉え方を提案しています。ギリシャ哲学のクロノス時間(計測可能な時間)とカイロス時間(意味に満ちた瞬間)を対比させながら、時間ががどのように自分たちの生活や思考に影響を与えているかを分析します。
ボクも仕事柄「生産性」に関するYouTubeをちょくちょく観てたりするんですが、あまりピンと来なかったりもする。そもそも時間に追われて仕事するのが大嫌い。「ポモドーロ」もやりますけど、よっぽどやることがたまって追い詰められないとやらない。そんなボクなのでオデルのテーマ設定はとても興味深いのです。時間を節約したらやることが増えるってどういうことよ!
本書の中でオデルはまず時間の計測がいかにして現代の私たちの価値観を形成してきたかについて考察していきます。彼女は、時間を計測する行為が最初は農業のリズムや宗教的儀式といった共同体の活動を支えるものであったと。そして機械時計の発明と産業革命が進む中で、時間はますます「生産性」の指標としての意味合いを帯び、効率の追求が個々人の生活の中核に据えられるようになります。この過程で、時間は「計り、管理されるべきもの」としての地位を確立しその枠組みに従うことが自然なものとされてきた。オデルの分析は、この「時間=資源」という近代の固定観念が、どのようにして私たちの生き方や価値観を縛りつけているかを浮き彫りにします。
この議論展開の中でオデルはクロノス時間と対照的な「カイロス時間」を強調します。カイロス時間は秒や分といった単位で測れるものではなく、その瞬間の質や深みが重視される。このカイロス時間の感覚を取り戻すことで、現代社会が押し付ける生産性至上主義の呪縛から解放される可能性を説きます。例えば、自然界に目を向け、植物や動物が自らのリズムで生きる姿に学ぶことで、私たちもクロノス時間に支配されない生活のヒントを得られるとしています。
最近はデジタルデトックスもブームですが、オデルも同様にスマートフォンやデジタルメディアを通じて「常に何かをしている」ことを求められ、休む間もなく情報と刺激にさらされている現状に批判的な目を向ける。さらなる効率や生産性を追求させ、時間に対する余裕を奪っていると。なのでデジタルデトックスでカイロス的な時間を意識し、デジタル社会の罠から解放されましょうと主張しています。
こうやって書いてみるといたってシンプルだし、生産性至上主義に対する最近のカウンタームーブメントにもフィットしている。それを学者ではなくてアーティストが提唱しているのがいかにもという感じではある。ボク個人はオデルの考えにまったくもって賛成なんだけど、新しい刺激を受けなかったのもまた事実ではある。もっと時間について深堀してくれたら面白かったんだけど、学者じゃないのでそこまで期待できない。
近いテーマを扱った書籍としてエリン・ロクナーの『The Opt-Out Family: How to Give Your Kids What Technology Can't』もある。エリン・ロクナー本人がインフルエンサーとしてどっぷりインターネットに浸かっていたのに一念発起してデジタルデトックス。その経験を踏まえてテクノロジーから「オプトアウト」すること、つまり、意識的にテクノロジーとの距離を置くことで、家族との時間をより豊かに、そして有意義なものにしたほうがいいよと提案している。こちらは書評を書くまでもないと思うので、ここで軽く触れるにとどめます。
あと、ちょっと前だとカル・ニューポートの『デジタル・ミニマリスト』とか『超没入』とか。そのあたりの流れの延長線上にある。
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