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『せかいのおきく』映画レビュー|阪本順治監督が描く江戸末期の希望と人間模様

阪本順治監督の『せかいのおきく』は、江戸末期を舞台に、人々の暮らしや交流を通じて「生きること」の本質を描いた映画です。本作のきっかけとなったのは、「下水道やバキュームカーがない時代、人々は厠(トイレ)をどう処理していたのか?」という素朴な疑問。このテーマが発展し、深い人間模様を掘り下げる物語へと昇華しました。

主演の黒木華が武家育ちの娘・おきくを演じ、佐藤浩市、池松壮亮、寛一郎といった実力派俳優たちが共演。時代背景とともに濃密なドラマが展開されます。

あらすじ|長屋で暮らす娘と交差する人々の物語

『せかいのおきく』の物語は、浪人となった父・源兵衛(佐藤浩市)と貧しい長屋で暮らす娘・おきく(黒木華)を中心に展開します。おきくは寺子屋で子どもたちに読み書きを教えながら家計を支える日々を送っています。

ある雨の日、紙屑買いの中次(寛一郎)と汚穢屋(し尿処理を行う職業)の矢亮(池松壮亮)に出会い、彼らと交流を持つようになります。一方、源兵衛は過去の因縁から果たし状を受け取り、家を出ることに。こうした出来事を通じて、おきくの生活や人間関係に変化が訪れます。

テーマ|「せかい」に託された希望のメッセージ

『せかいのおきく』のタイトルにある「せかい」は、物理的な「世界」を指すだけでなく、人生における可能性や広がりを象徴しています。本作の舞台は、社会的に「くそみたいな世の中」とも言える江戸末期。しかし、厳しい現実の中にも生きる希望やつながりが描かれています。

汚穢屋や紙屑買いといった当時社会の底辺と見なされていた職業を担う矢亮や中次の存在を通じて、どんな境遇でも「生きる」という行為が持つ価値を強調しています。このメッセージは現代に生きる私たちにも響くものがあります。

キャラクター描写|黒木華を中心とした個性豊かな登場人物

主演の黒木華は、武家の品を感じさせつつ、長屋暮らしで培った力強さを持つおきくを見事に演じています。その繊細かつ芯のある演技は、観客におきくの人生をリアルに感じさせます。

池松壮亮が演じる矢亮は、汚穢屋という職業に従事しながらも、誇りと人間味を失わないキャラクター。池松の控えめながら深みのある演技が光ります。対照的に、寛一郎が演じる中次は軽妙で飄々とした存在感を持ち、物語に緩急をつけています。

佐藤浩市が演じる源兵衛は、浪人としての誇りと過去の因縁に苦悩する姿を体現。全キャラクターがそれぞれ異なる視点から「生きること」の意味を浮き彫りにしています。

その他映画技法|江戸末期のリアリズムとシンプルな演出

阪本順治監督は、本作で江戸末期の生活風景を丹念に描き出しています。長屋の狭い空間や汚穢屋の仕事ぶりがリアルに再現され、当時の生活感が伝わります。また、上映時間は約2時間弱とコンパクトにまとめられており、物語のテンポが良く、観やすい仕上がりです。

音楽や映像美も過剰な演出を避け、登場人物たちの物語を引き立てる控えめなアプローチが取られています。

まとめ|希望とつながり

『せかいのおきく』は、江戸末期という時代を舞台にしながら、「生きること」の普遍的な価値と希望を問いかける映画です。黒木華をはじめとする実力派キャストの見事な演技、そして阪本順治監督の繊細な演出が融合し、観客に強い印象を残します。どんなに厳しい世の中でも、せかいは広く可能性に満ちている。そんなメッセージが心に響く一作です。