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書評|トランプ時代に崩れ落ちる民主主義|The Death of Truth by Michiko Kakutani【2018年夏休み読書週間】

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ハンナ・アーレントの1951年の著作『全体主義の起源』によれば、全体主義にとって都合のいいのはナチスや共産党の信者ではなく、事実と作り話の差がわからない人だそうです。そして、それから70年近く経った現在、フェイクニュースやケンブリッジアナリティカが活躍する世界でそのような状態がまた生まれつつあるというのがミチコ・カクタニの書籍"The Death of Truth"の主題です。

The Death of Truth

The Death of Truth

 
ハンナ・アーレント『全体主義の起原』 2017年9月 (100分 de 名著)

ハンナ・アーレント『全体主義の起原』 2017年9月 (100分 de 名著)

 

 

 

著者のミチコ・カクタニはピューリッツァー賞の批評家部門で受賞経験もあるニューヨークタイムスでも活躍する文芸評論家です。この本で描かれているのは民主主義の危機です。以前に紹介したジェイミー・バーレットの"People v. Tech"はプラットフォーマーなど技術が民主主義を危機に陥れているという趣旨の本でしたが、ミチコ・カクタニは歴史の揺り返しとして捉えられている(気がします)。そのサインがドナルド・トランプが大統領になったこと。ここはジェイミー・バーレットと同じですね。

民主主義の基盤としての事実の衰退(Truth Decay)

事実は民主主義の基盤です。事実に基づいて議論をすることが前提となっている。しかし、この事実が衰退しているというのがこの書籍の主張です。例えばフェイクニュース。それだけでなく、フェイクサイエンスやフェイクヒストリーまで。ハンス・ロスリングの"Factfullness"も世界を事実に基づいて認識するための方法を提示していましたね。人間は「事実」よりも「自分にとっての事実=意見」を信じてしまうものなのです。そして、自分の意見を事実と混同してしまう。

ランド研究所は「アメリカ合衆国の公益と安全のために、科学、教育、慈善の促進を目的として」設立された非営利組織です。ランド研究所は事実の衰退(Truth Decay)について以下のように定義しています。

  • 「事実」と「事実とデータに基づく分析的な解釈」の隔離
  • 「意見」と「事実」の境界線の曖昧化
  • 「事実」よりも「意見」や「個人的な体験」の影響の増大
  • 「事実」のソースへの信頼の低下

論理的思考の衰退(Fall of Reason)

「事実」と同時に「論理」も衰退しています。科学的なアプローチは「仮説」があり、「事実」に基づいて仮説を検証し、それを「理由(=論拠)」として「結論」を導き出します。

しかし、現在の政治で行われているのは政府がまず「結論」を決め、その「結論」をサポートするために「理由」を考え、「事実」を探します。つまり、科学的なアプローチと逆のことが行われています。政治家が何か問題発言をしても、それは「解釈の問題」とされます。日本でも「誤解を与える表現だった」とよく政治家の方達は言いますよね。アメリカでも同じです。また、「事実」よりも「感情」を優先します。政治家としては選挙民の「感情」が「事実」より大事な場面が多いのです。

メディアや情報の増加は多くのバージョンの事実が存在して、人によってそれは変わるという考えを生み出しました。そして、事実は代替可能で変質するものとなりました。例えば、どれだけ専門家がデータで証明しても、地球の温暖化を信じない人たちがいます。歴史も多くの場合はそれを書く人たちにとって都合がいいように書かれています。しかし、それでもどこかに事実はあって、その事実は科学的に発見できると考えています。

日本はどうなのか?

日本でも右翼と左翼の議論が「事実」ではなく「自分にとっての事実=意見」を前提にネット上で空中戦をしていますよね。共有された「事実」を元に議論して解決するのが民主主義なのですが、そもそも共有された「事実」について合意できていません。事実より感情が上回っています。

もちろん、陰謀説もたくさんあります。ネットには陰謀説が溢れています。そういう意味では事実の衰退(Truth Decay)は日本でも起きていますよね。

一方で、チェックアンドバランスも機能している部分もあります。(もっと議論すべき大事なことはあるだろうとは思いつつ)モリカケ問題で政府の隠蔽体質が明るみに出ました。日大もこれまでスキャンダルをのらりくらり風化させてきた歴史がありますが、アメフト問題ではその責任の所在を明らかにしようとする力が働いています。フェイクニュースを拡散していたDeNAのキューレーションメディアも閉鎖に追い込まれました。これはこれで日本では事実を知ろうとする力がまだ働いている健全なサインではないかと思います。

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