カタパルトスープレックス

興味がない人は無理して読まなくていいんだぜ。

書評|文化人類学から見た通貨と負債の歴史は経済学とはだいぶ異なる|"Debt" by David Graeber

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デヴィッド・グレーバーが59歳の若さでお亡くなりになりました。最近だと『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』が日本でも翻訳されて紹介されたばかりでした。本来でしたらこのブログでは日本未発表/未翻訳の作品しか取り上げないのですが、追悼の意を込めて特別に彼の過去の作品をいくつか紹介したいと思います。

まずは、文化人類学の立場から貨幣経済を「負債」というアングルで切り込んだ『負債論』です。これも日本語版で800ページ越えのレンガ本です。レンガ本仲間のトマ・ピケティも褒めています。分厚い本が皆さん好きなんですね😅

Debt - Updated and Expanded: The First 5,000 Years

Debt - Updated and Expanded: The First 5,000 Years

  • 作者:Graeber, David
  • 発売日: 2014/10/28
  • メディア: ペーパーバック
負債論 貨幣と暴力の5000年

負債論 貨幣と暴力の5000年

まず、大前提として「借金は返さなければいけない」が(経済的な意味では)間違っているとグレーバーは指摘します。もちろん、(モラル的な意味では)返さないといけないのですが、貸す側も返ってこないリスクを承知で貸しているわけです。必ず返ってくる前提ではない。例えば、銀行に行って競馬の馬券を買う資金のために「1億円貸してくれ」と言っても貸してくれません。しかし、法律でどんな状況であっても(臓器を売ったり、娘を風俗に売ったり)、必ず返ってくることが保証されていたら?おそらく貸すでしょう。IMFがやっているのはまさにそういうことだとグレーバーは言います。

例えば、マダガスカルの例。トマ・ピケティも指摘しているように、マダガスカルはフランスの植民地でした。鉄道や鉱山のために重い税金が課せられました。ハイチも同様ですね。自由の代償として補填を求められた。これが貧しい国が豊かな国にしている「借金」の正体だったりします。

経済活動で「負債」は大きな役割があります。しかも、その役割はかなり根本的です。一般的な理解では、まず「貨幣」が生まれ、次に「負債」が生まれた。経済学で教えているのもそうです。貨幣経済の前には物々交換の経済だった。モノとモノをその場で交換するなら負債はないですよね。しかし、文化人類学的には「負債」は「貨幣」より先にうまれた証拠の方が多いのだそうです。英語でキャッシュ(cash)は紙幣やコインですよね。マネー(money)はもっと広い意味での富のコンセプトですよね。「負債」はマネーと同時に生まれた可能性が高い。例えば、メソポタンミアで発見された貸借対照表なんてある意味においてマネーですよね。「あなたは私にこれくらい借りがあります」という借用書(IOU)が信用貨幣の観点からもマネーに近い。

デヴィッド・グレーバーは共産主義でアナーキストです。すごくラディカルなラベルを自ら貼ってるのですが、この本をちゃんと読めば彼の主張はそれほどラディカルじゃないんですよ。わかる人はわかると思うのですが、共産主義とアナーキズムを両方信じている人ってあまり多くないんです。アナーキズムは極端なリバタリアンですので、むしろ保守(小さな政府)と相性がいいんです。政府を究極的に小さくすればアナーキズムです。一方で、共産主義は極端なリベラル(大きな政府)です。この、相反するイデオロギーをデヴィッド・グレーバーは自分の中でどのように成立させているのでしょうか。

デヴィッド・グレーバーは交換理論(相互主義)に異論を唱えています。人間関係は全てを等価交換で説明できない主張します。社会的な関係には1)基本的な共産主義、2)相互主義、3)階級主義の三つの要素がある。これは共産主義であろうが、資本主義であろうがどのような社会システムでもこの三つの要素を内包するとデヴィッド・グレーバーは言います。 

原始通貨はモノを買うために使う通貨ではなく、「人間経済」で機能していたとデヴィッド・グレーバーは解説します。人間の取引の時に原始通貨は使われたそうです。例えば、妻をもらう時に支払う貨幣。しかし、この貨幣は「永遠の負債を負いますよ」という意味であって、その通貨で別の商品を買うことはできません。人間の価値はモノと交換できないからです。人間の負債は人間で支払うしかない。この「人間経済」は様々な文化で機能していて、アフリカやインドネシアでも同様の習慣があったそうです。そして、アフリカの「人間経済」とヨーロッパの「商品経済」が合わさった時に生まれたのが奴隷貿易だと。

アフリカのポーン(Pawn)は奴隷ではなく、負債の質草でした。人が死んだとします。人の命は等価交換なので、誰かのせいで死んだと(この辺の理屈はよくわかりません)。あなたのせいで死んだのだから、誰かポーンを出してください。そういうことらしい。多くの場合は若い女性がポーンとして求められたのだそうです。複数のポーンを預かり、その一人を嫁にすると決めたそします。しかし、ポーンとなっていた女性は結婚したくない。そうすると、隣村に逃げてその「村の花嫁」となるのだそうです。ポーンは奴隷ではなかったのだそうです。奴隷は戦争で負けた相手がなる。これがヨーロッパと貿易をはじめるようになって、徐々にポーンと奴隷の差がなくなってきたのだそうです。

ここまでが、この本の前半です。後半はデヴィッド・グレーバーが前半で構築してきたロジックを歴史を遡って検証していきます。

デヴィッド・グレーバーのモノの見方はとてもユニークです。貨幣に対する考え方も、共産主義に対する考え方も、世間一般のイメージからはかけ離れています。しかし、その見方もちゃんと文化人類学的な検証から得られた知見なので、突拍子もないことをセンセーショナルに打ち出しているわけではないのです。こういうユニークな考え方を知的に積み上げていけることができる人が早く亡くなって、とても惜しい気持ちでいっぱいです。