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書評|人種の違いを「お笑い」にしないための反人種主義(アンチレイシズム)|"How to Be an Antiracist" by Ibram X. Kendi

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人種主義(レイシズム)って日本人にとっては馴染みが薄いと思うんですが、国連では日本はしっかりと人種主義的な国と認識されてしまっています。2005年の国連人権委員会特別報告で「日本社会に人種差別および外国人嫌悪が存在することを正式にかつ公的に認めること、人種主義、差別および外国人嫌悪を禁止する国内法の採択」を勧告されてしまいました。

おそらく多くの日本人は自分が人種主義者(レイシスト)だと意識していないと思うんですよね。お笑いコンビのAマッソが、大坂なおみに必要なのは「漂白剤!あの人日焼けしすぎやろ」と答えたり、同じくお笑いコンビの金属バットが「黒人が触ったもの座れるか!」というネタをやったり。人種差別(レイシャル・ディスクリミネーション)的だと非難されました。お笑い評論家のラリー遠田さんは「差別意識があっての発言なのか、無意識なのかは区別して考えなければいけません」と理解を求めます。区別して、無意識なら人種差別していいんですかね?

そもそも、人種主義者(レイシスト)と人種差別(レイシャル・ディスクリミネーション)の違いってなんなんでしょうね?他の民族に対する差別でいえば、嫌韓も人種主義であり、人種差別なんでしょうか?

Aマッソに金属バット…お笑い芸人から差別問題が相次ぐワケ

今回紹介するイブラム・X・ケンディは著書"How to Be an Antiracist"では、人種主義者でなく「反人種主義者になりましょう」という指南書です。イブラム・X・ケンディによれば、Aマッソや金属バットが特別なのではなく、ボクらはみんな人種主義者として他の人種を蔑んで見たり、行動したりする可能性があるということです。人の振り見て我が振り直せです。

How To Be an Antiracist

How To Be an Antiracist

人種主義と反人種主義と人種差別

多くの優れた本がそうであるように、この本も言葉の定義からはじめます。反人種主義者(アンチレイシスト)ってなに?いやいや、そもそも人種主義者(レイシスト)ってなに?日本ではレイシャル・ディスクリミネーションを人種差別と訳しますが、人種主義と人種差別の違いって何?

人種主義は人種によって優越の差異があるという考え方です。優れた人種とそうでない人種があるという考え方です。人種主義者は問題は人種に起因すると考えます。反人種主義は人種によって優越の差異がないという考え方です。反人種主義者は問題は権力と政策に起因すると考えます。「人種主義者ではない」という「非人種主義」は仮面を被った人種主義だとイブラム・X・ケンディは言います。反人種主義でなければ人種主義であると。曖昧にしてはいけない。人種主義をきちんと定義して、発見して、解体することが大切だと言います。そのために、力と政策に着目することが重要だとしています。

人種差別(レイシャル・ディスクリミネーション)は必ずしも人種主義(レイシズム)ではありません。人種差別が格差を広げるのか、格差を縮めるのかが問題です。人種によって区別し、格差を広げるのであれば、その政策は人種主義です。人種によって区別し、格差を縮めるのであれば、その政策は反人種主義です。

また、平等(Equality)と公平(Equity)の区別も重要です。反人種主義は異なる民族間の公平性を促進します。目指すのは平等ではありません。インターネットでよく出回っている以下のイメージが平等と公平の違いをうまく表しています。公平性が何かを理解できれば、人種差別が必ずしも人種主義ではないことが理解できます。

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Equity Vs Equality: 20 differences between Equity and Equality !

アナンダ・ギリダラダスが"Winners Take All"で平等性に着目して制度的、構造的な問題に切り込んだのと対照的ですね。"Winners Take All"ではぼんやりとして解決策が見えなかったのですが、イブラム・X・ケンディは公平性に着目して、具体的な政策に切り込んでいるため、やることが明確です。平等ではなく、公平の視点に立てば、萩生田大臣の「身の丈」発言ってどうですかね?

萩生田大臣「身の丈」発言を聞いて「教育格差」の研究者が考えたこと(松岡 亮二) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)

公平性の確保の考え方と反人種主義

公平性を確保するために、特定の人種を優遇しなければいけないのであれば、その人種は劣っているのではないか?という疑問も湧いてきますよね。イブラム・X・ケンディは公平性を確保する三つの考え方とアプローチを紹介しています。

同化主義(Assimilationist):人種主義の一種。人種により文化的、行動的な優越の差異が存在する。または、一方が正しく、他方は間違っている。しかし、劣性の民族は支援することにより矯正が可能であるため、矯正を促進する政策を支持する。優性人種に劣性人種を同化させる。

分離主義(Segregationist):人種主義の一種。人種により文化的、行動的な優越の差異が存在する。そして、その差異は支援しても矯正できないため、分離する政策を支持する。

反人種主義(Antiracist):人種により文化的、行動的な優越の差異はない(平等である)。しかし、人種主義的な政策のために一部の人種にとって公正な状態ではない。そのため、人種の公正を推進する政策を支持する。優劣のない人種が人種主義的な政策のため公正な状態にはない。

こうやってみると、同化主義と反人種主義は似て非なるものですね。人種が劣っているから支援しなければいけないと考えるのが同化主義。人種が劣っているわけでなく、政策により公正ではない状態にあると考えるのが反人種主義です。

アメリカでいえば有権者ID法の問題。投票者IDの導入で多くの有色人種の投票が受け付けられませんでした。また、SAT(アメリカの大学進学適性試験)などの標準テストも格差を広げます。SATは高得点を取るためのコツがあり、そのコツは家庭教師やプレップスクールで学ぶことができます。それができる所得がある家庭の子供たちがSATの高得点を獲得できる傾向にあります。所得が低い家庭はその費用を捻出できないため、SATで高得点を獲得することが難しくなります。有色人種は貧しい家庭が多い。つまり、有色人種だからSATの点数が悪いわけではありません。所得格差や教育格差はそもそもこのような政策が原因であって、人種の優劣の問題ではないと考えるのが反人種主義です。

「黒人の投票を制限」米ノースカロライナ州の有権者ID法に無効判決

イブラム・X・ケンディは具体的な政策に着目すべきだとしています。人種主義の問題を制度の問題、構造の問題、仕組みの問題にしてはいけない。なぜなら人種主義はそもそも制度的であり、構造的であり、仕組み的だからです。具体的な政策に着目して、解体していかなければ人種主義は無くなりません。

単に肌の色だけではない人種主義

レッテル貼りって嫌ですよね。個人ではなく、レッテルで判断する。人種主義は一種のレッテル貼りです。人種主義の歴史はエンリケ航海王子まで遡ります。はじめてアフリカから黒人をヨーロッパに連れて行き、リスボンで奴隷オークションをしました。そして、ゴメス・デ・ズララがエンリケ航海王子のバイオグラフィーを書いて、奴隷オークションを正当化します。アフリカの野蛮人をヨーロッパに連れてくることにより、文明を教える。これにより上下関係を明確にしました。これが人種主義の概念のはじまりなのだそうです。その後に、分類学の父であるカール・フォン・リンネが人種を黄色、白、黒、赤に分類します。人種を分類して、優劣をつける。同時代のデイビッド・ヒュームも有色人種は白人より劣っていると考えました。まさにレッテル貼りですね。

人種を特定の分野での優劣と結びつけるのは全て人種主義です。これ、ボク的にはすごく目から鱗でした。言われてみればそうなのですが、きちんと理解するまで何回も読み直さなければいけませんでした。

人種主義のレッテル貼りは肌の色に限らないとイブラム・X・ケンディは説きます。例えば、特定の人種の文化を劣っているとする文化人種主義。黒人はイボニックという特有の英語を話します。イボニックはアフリカをルーツとした英語です。白人が話す英語はヨーロッパをルーツとした英語です。文化的ルーツが違うだけで、英語は英語です。ドイツ人はオランダ語を「壊れたドイツ語」と言い、オランダ人はベルギー人のフラミッシュ語を「壊れたオランダ語」と言います。もし、イボニックが「壊れた英語」なのであれば、英語だって「壊れたドイツ語」ですよね。シンガポール人が話すシングリッシュも同様に、英語です。日本人が話す日本語訛りの英語だって、日本の文化をルーツに持つ英語なのです。劣っていると考えるのはおかしい。

また、身体的な特徴から特定の人種の優劣を考えるのも身体人種主義だとしています。黒人は身体能力が優れるが、頭脳は劣るとか、アジア人は身体能力は劣るが、頭脳は優れているとか。身体能力が優れたアジア人もいるし、頭脳が優れた黒人もいる。優れた個人や劣った個人はいるが、個人の能力を全ての人種に当てはめてはいけないと言います。保守派の政治評論家で、反オバマ映画『オバマのアメリカ』を監督したディネシュ・デスーザは著書"End of Racism"(凄まじいタイトルだ)で「黒人はインプロビゼーション能力が高いためにジャズや野球は得意だが、クラシック音楽やチェスは苦手」と書いているそうです。もちろん、全ての黒人がダンクシュートができて、ジャズの即興演奏ができるわけではないし、聡明な黒人だってたくさんいる。「やっぱ、黒人の血が入ってるからすげーな」と言うのは努力している個人にも失礼ですよね。すごいのはその人なんだから。

ボクがなかなか腹落ちしなかったのが行動人種主義でした。ボクの個人的な経験で言えば、インド人は行列しない。インドではそれは合理的だと思うんですよ。誰も列ばないんだから。それはそれで一つのシステムだと思います。でも、多くの外国人が集まる空港とかでそれをやられるとカチンとくる。平気で横入りしてくるんですよね。それはダメだろうと。でも、よくよく考えてみれば列んでいるインド人もいる。いや、列んでいるインド人の方が多くて、横入りするインド人の方がむしろ少ない。横入りするほとんどの人種はインド人だけど、横入りするインド人はインド人の一部でしかない。つまり、そういうインド人もいるということです。その個人の行動を捉えて、インド人全体を評価してはいけない。

この本はどんな人にオススメか

コンビニや飲食店でも外国人の人たちが働いていて、違う人種が身近な存在になりました。大坂なおみや八村塁の活躍で、多くの人が大和民族だけが日本人じゃないって徐々にわかってきました。日本は単一民族国家だなんて幻想なんです。日本はまだまだアメリカの公民権運動以前の人種主義意識しかないと思います。だから、外国から指摘されても拒否反応が出てしまう。人種主義者の特徴の一つは「拒絶」です。いえいえ、私は人種主義者じゃないですよ、とドナルド・トランプも言いますよね。国連人権委員会特別報告に反発する日本もそうなんですよ。

だから、なるべく多くの日本人にこの本を読んで欲しいです。ボク自身も気づきが多かったです。ボクは海外生活も長いですし、様々な人種の友人や職場の仲間がいて、自分自身なるべく人種主義者にならないように意識して努めているつもりです。それでも、やっぱり個人の行動と特定の人種を結びつけて考えてしまうことってあります。

イブラム・X・ケンディは多くの人は人種主義者と反人種主義者の間をつねに行き来していると言います。つまり、Aマッソと金属バットは根っからの人種主義者というわけでなく、人種主義的な発言により人種差別を不用意にしてしまい、そういう瞬間が捉えられてしまったということでしょう。やっぱり、意識しないとダメなんですよね。そして、正しく意識しなければいけない。

この本に書いてあることをしっかり理解するには何回も読み直さなければ(聴き直さなければ)いけませんでした。難しい単語や文法が使われているわけではありません。自分の中にあるアイデアや価値観と一致しないとなかなか頭に入ってこないんです。これはどういう意味だろう?この場合はどうなんだろう?と考えながら読まなければいけませんでした。しかし、徐々に反人種主義について理解が深くなっていきました。そういう構成になっている。なかなか読み応え(聴き応え)のある本でした。