カタパルトスープレックス

興味がない人は無理して読まなくていいんだぜ。

書評|ボクたち自身が問題の一部かもしれないことに気づこう|"Winners Take All" by Anand Giridharadas

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ハンス・ロスリングが『ファクトフルネス』で解説してくれたように、マクロの視点で見れば世の中はよくなっています。飢えで苦しむ人たちはだいぶ減りましたし、学校に通う女性も増えました。それでも、悲しいニュースが溢れています。悲しいニュースの多くはアフリカなどの貧しい国ではなく、国内で起きている出来事です。

例えば川崎殺傷事件東池袋自動車暴走死傷事故。このような悲しいニュースが減らないのは、メディアのせいだけではなく、実際に世の中の一部はよくなっていないからです。特に先進国の中所得者層や低所得者層はより貧しくなっています。これはハンス・ロスリングもスティーブン・ピンカーも認めるところです。グローバルな視点(東南アジアとアメリカの比較など)では貧富の差は縮まっていますが、先進国のそれぞれの国内事情を見てみると貧富の差は広がっているのです。

この傾向は日本だけではなく、先進国の多くで起きています。アナンド・ギリダラダスが前著"The True American"で描いたのがまさに低所得者層の希望と絶望の衝突(TEDの講演がわかりやすいです)でした。前著が物語であるならば、新著"Winners Take All"はその背景の解説書となります。

Winners Take All: The Elite Charade of Changing the World (English Edition)

Winners Take All: The Elite Charade of Changing the World (English Edition)

The True American: Murder and Mercy in Texas

The True American: Murder and Mercy in Texas

行き過ぎた新自由主義(=最近の資本主義)に対する批判は最近よく出会うテーマです。この本もその一つです。ボク自身の主義主張で本をピックアップしているわけではないのに(単にアマゾンで売れている本の中でノンフィクションやテクノロジーに関する本を選んでいるだけ)、これだけ同様のテーマが続くということは、「そろそろ今の資本主義は見直さないとね」と知識層のコンセンサスが形成されつつあるのでしょう。

資本主義は万能ではない

この"Winners Take All"ではマッキンゼーのようなマネージメントコンサルティング会社やゴールドマンサックスのような金融機関、スタートアップを例として取り上げ、その矛盾した行動を指摘しています。左手で助け、右手で殴るようなものだと言っています。この本の主張を簡単に言えば「貧困が問題なのではなく、公平でないのが問題だ」です。新自由主義の考え方は「市場原理がすべての問題を解決する」です。政府はなるべく規制をなくして、企業が自由に経済活動をすべき。そして、慈善活動も市場原理に任せるべき。これが、今の主流の考え方です。

ギリダラダスは現代のフィランソロピーの源流としてアンドリュー・カーネギーをあげています。ロックフェラーやモルガンと同時期の実業家でカーネギー財閥の創始者ですね。アンドリュー・カーネギーは稼いだ金は稼いだ金を貯めるのではなく、慈善活動に使うべきだとしました。実業家は自由市場で利益を得る。それによって一時的に不平等が生まれる。しかし、実業家がその富を慈善事業で再配分する。この一連のサイクルで自由市場における資本主義においても不平等は最小化されるというのがその考えです。

マッキンゼーのようなコンサルティング会社は社会的な問題解決に取り組むための活動をしています。論理的な思考による問題解決手法など仕事のやり方(プロトコル)を持っています。問題を解決可能な範囲まで分解して、その中で特にインパクトのあるものに取り組む。このようなプロトコルは企業の経済活動の改善には役に立ちます。根本としての経済活動は正しい前提だからです。しかし、根本が正しくなければコンサルティング会社のプロトコルは役に立たないとギリダラダスは考えます。

TechnoServeBridgespanのような民間の「社会インパクト活動」もジョージ・ソロスのOpen Society Foundationsもその目的はとても崇高なのですが、結局のところはマネージメントコンサルタント出身者が彼らのプロトコルを使って問題解決に取り組むので、なかなか根本的な解決にはたどり着けません。元々の原因を生み出した市場原理的な手法の一つが彼らのプロトコルなんのですから。

ゴールドマン・サックスも10,000 Womanのような「社会インパクト活動」を単独で行ったり、金融の専門家が集まってPortfolio with Purposeのような団体を作ったりして社会貢献しようとしています。しかし、タンザニアで裁判となっているスタンダード・チャータード銀行のように金融機関が不良債権と知りつつ、それを安く買いたたき、高額で政府に補償を求めるハゲタカファンド的な行為が問題となっています。これが左手で助け、右手で殴るの代表例ですね。

まずは自分たち自身が問題の一部だと気づくこと

ティーパーティー運動はトランプ政権を生んだ原動力の一つです。「もう税金はたくさんだ(TEA: Taxed Enough Already)」の頭字語を取ったそうで、税金を減らして小さな政府をさらに加速させる最近の傾向の象徴の一つです。小さな政府とは規制を緩和して政府の役割を減らし、民間の役割を増やす方向性です。新自由主義の方向性です。行き過ぎた新自由主義が批判されていますが、市場原理による問題解決は、実は自分たち自身で求めているのです。

富の不平等な配分を批判するスローガン「We are the 99%」は、「世界は1%の裕福な人たちが1%の裕福な人たちのために1%の裕福な人たちによって動かされている。そして、私たちは99%だ」という意味です。でも、実際にそれを選んでいるのは99%の私たちなのだと気づかなければいけません。貧困ではなく、不平等が問題なのに、それを市場原理で解決しようとしているのが問題なのです。

この本の中で特に印象的だったのがフォード財団Ford Foundation)です。フィランソロピーの源流は先に書いたようにアンドリュー・カーネギーですが、その頃から「貧困について語っていいが、不平等については語っていけない」という不文律がありました。そうですよね、最初は不平等だが、儲けた人が自主的に慈善活動をして儲けていない人に還元するがカーネギーの考え方ですから。不平等ありきのフィランソロピーです。誰も儲けることについては批判されたくない。そもそも、そんな儲け過ぎずに、フェアにやろうなんて聞きたくない。それを言ってしまったのが世界でも最大規模の基金の一つであるフォード財団のプレジデントであるダレン・ウォーカーでした。彼がフォード財団で書いたブログ記事"Toward a new gospel of wealth"では不平等の上に成り立つ「与える(Giving)」の考え方から一歩進んで、根本的な不平等についてアクションを取るべきだと言いました。

マイケル・ポーターの「共有価値の創造(Shared Value)」についても触れられています。マイケル・ポーター自身は現代経営の象徴みたいな人ですし、彼の書いた『競争の戦略』なんて経営者のバイブルの一つですよね(実際に読んでいる経営者がどれくらいいるかは別として)。多くの企業は企業の社会責任(CSR: Corporate Social Responsibility)に取り組んでいますが、これも儲けを「与える(Giving)」で社会に還元する考え方ですよね。フィランソロピーと根っこは同じです。マイケル・ポーターが提唱している共有の価値創造(CSV: Common Shared Value)は経済活動の中で価値を共有していこうという理念で、フォード財団のダレン・ウォーカーが言っていることとかなり近いような気がします。

この本はどんな人にオススメか

最近のビジネスや経済の時流を知りたい人にはオススメです。リベラルな人でも、保守な人でも。

色々と最近は批判されている新自由主義です。新自由主義が目指す極端な自由が正解でもなければ、それ以前の極端な管理も正解ではないのでしょう。政府が万能でないのと同じで、市場も万能ではない。「管理」の方向に舵を切り、行き過ぎたら「自由」に舵を切り直す。そうやって前に進んでいくのが現実です。今は自由から別の方向に舵を切り直す時期が来たのでしょう。大事なのは舵を切るべき時に切れるかどうか。日本はどうか?って考えてみるのもいいですね。

ベーシックインカムのようなラディカルな方向やプラットフォーム・コーポラティズムのようなふわっとした方向もあるかもしれません。何より重要なのはフォード財団やマイケル・ポーターのような既存のパワーバランスで言えば「強者」の側の人たちまで動き出そうとしているという点ですね。