今回紹介するのは、長年にわたってテクノロジーの人間への影響について考察してきたニコラス・カーの最新作『Superbloom: How Technologies of Connection Tear Us Apart』です。ニコラス・カーは、テクノロジーの発展が私たちの思考や注意力にどのような影響を与えているのかを、冷静かつ丁寧に考察する作家です。彼の代表作『ネット・バカ インターネットが私たちの脳にしていること』(原題:The Shallows)では、インターネットが私たちの脳の働きや深い思考にどのような変化をもたらしているのかを、脳科学や歴史、メディア論を交えて分かりやすく説明しています。
ニコラス・カーは決して技術を頭ごなしに否定するわけではなく、むしろその利便性を認めたうえで、「その代償として何を失っているのか」を問いかけています。今回紹介する『Superbloom』でもそれは同じです。カーはこの書籍で、2019年にカリフォルニア南部で起きた実際の「スーパーブルーム」現象から着想を得ています。
「スーパーブルーム」はカリフォルニア州のウォーカーキャニオンで大量のポピーが咲き乱れる現象を指しています。あるインフルエンサーが写真映えのする「スーパーブルーム」をバックにセルフィーを取り、ソーシャルメディアに投稿しました。その写真はバズり、多くの人たちがが競って写真撮影のために殺到。環境保護区域の花々を踏みつけ、写真のために引き抜くという事態に発展しました。そしてその様子がさらにSNSで拡散され、投稿者たちに対する激しい非難コメントが集中する展開に。
本書『Superbloom』の主題は「より多くの迅速なコミュニケーションは本当にいいことなのか?」です。カーはカリフォルニアの出来事を、現代のソーシャルメディアが引き起こす社会現象の縮図と捉え、さらに「メッセージの大量開花」という比喩として用いています。かつては美しいと思われた無制限の情報と相互コミュニケーションの可能性が、どのように人間の最悪の面を引き出す結果になったのかを探求する出発点としています。
テクノロジーが約束した未来は(たいてい)来ない
本書の特徴的なアプローチは、現代のソーシャルメディアだけでなく、テレグラムから始まる電子メディアの歴史にまで遡って分析している点です。新しい技術は明るい未来の予感を与えますが、それが実現することはあまりないことをニコラス・カーは本書でも明らかにしていきます。インターネットでテクノユートピアの未来を描いた人たちが、こんなはずではなかったと頭を抱える現状は昔から繰り返してきています。
カーによれば、テレグラムの登場によって初めて情報が人間の移動速度を超えて伝達されるようになり、コミュニケーション技術に対する楽観的な見方が生まれました。この時代から「もっと通信すれば社会問題は解決する」という信念が形成され、今日まで続いています。テレグラム、電話、ラジオ、テレビ、そしてインターネットと発展する各時代において、これらの技術は常に「人類統一」「戦争の終結」といった楽観的な期待を背負わされてきました。
しかし、デジタル化によってあらゆる制約が取り払われた現代において、私たちは電信機の時代から続くコミュニケーション技術の本質的な問題と対峙することになったとカーは主張します。彼が「通信の悲劇(The Tragedy of Communication)」と呼ぶのは、より多くのコミュニケーションがより良い理解をもたらすという私たちの理想が、実は間違っていたことです。一定の量を超えたコミュニケーションは、理解を促進するどころか阻害し、信頼を築くのではなく不信を生み、社会的調和ではなく対立を深めるというのです。
チャールズ・クーリーとマーシャル・マクルーハン
以前に紹介したジェフ・ジャーヴィスの『The Gutenberg Parenthesis: The Age of Print and Its Lessons for the Age of the Internet』はメディア論からインターネット以後の世界に期待を寄せる書籍でした。『The Gutenberg Parenthesis』は「メディアはメッセージである」で有名なマーシャル・マクルーハンから大きな影響を受けた書籍でした。一方でニコラス・カーは、本書の着想を19世紀の社会学者であり「ソーシャルメディア」という言葉を作ったチャールズ・クーリーの「鏡に映る自己(Looking Glass Self)」という概念を下敷きにしています。
クーリーとマクルーハンの違いは『Superbloom』と『The Gutenberg Parenthesis』の違いにもなっています。マクルーハンの興味はコミュニケーション技術が個人の意識や認知にどのような影響を与えるかでした。一方でクーリーは興味はコミュニケーションの変容でソーシャルマインドがどのように変化するかでした。両者とも社会変化を論じましたが、クーリーは人間関係に焦点を当てた一方で、マクルーハンは技術とメディアの影響力に注目しました。
クーリーの楽観主義とカーの悲観主義
ニコラス・カーはチャールズ・クーリーの考え方を出発点としつつ、着地点は大きく異なります。ニコラス・カーはテレグラフから始まるマスコミュニケーションは、戦争を激化することはあれ、平和をもたらすことはなかったと批判的です。
クーリーが生まれたのはテレグラムや初期の電話の頃。ラジオが普及し、テレビの誕生まで生きました。ラジオやテレビに代表される集中的な権威のマスメディアと、インターネットに代表する分散的なコミュニケーションへの変化。それがどのような結果をもたらすかクーリーは見ることはできませんでしたが、その効果は「ソーシャルメディアのより完璧な液化(More perfect liquefaction of social media)」になると予測しました。予見できなかったのは分散したコミュニケーションによって生まれたグループのファクショナリズムと新しい権威主義でした。クーリーは人は合理的な判断ができると信じていました。
クーリーは、人間の自己意識は他者からの反応を見ることで形成されると説きました。ニコラス・カーはこれを発展させ、ソーシャルメディア時代の「ミラーボール・セルフ」という新たな自己概念を提示しています。これは、無数の断片的な反応を通じて自己を形成する状態を指し、より浅く、表面的で、「コンテンツ」として自分自身を認識するようになった現代人の心理を表しています。
たとえば、テキストメッセージのような即時的なコミュニケーション手段が、どのように思考様式そのものを変えているかを分析しています。社会心理学者ダニエル・カーネマンの「速い思考・遅い思考」の枠組みを用いて、ソーシャルメディアが本能的・直感的な「システム1」の思考を促進する一方で、深く考え文脈を理解する「システム2」の思考を阻害していると説明しています。
リアリティ特権と二極化を広げるコミュニケーション技術
最後に、カーはマークアンドリーセンの言うところの「リアリティ特権 reality privileged 」というシリコンバレーの概念に警鐘を鳴らしています。一部のテック界のリーダーたちが描く未来は、富裕層は現実世界を楽しみ、大多数は仮想世界で満足するという分断された社会です。カーはこれを「ブレイブ・ニュー・ワールド」的な歪んだビジョンと捉え、象徴的な自由や抽象的な表現の場を与えられる一方で、実質的な自由と物質的な世界での経験が奪われる危険性を指摘しています。
『Superbloom』は、コミュニケーション技術の歴史を丁寧に紐解きながら、人間の本性という普遍的な問題に光を当てる意欲的な一冊です。テクノロジーの進化が必ずしも人間関係や社会の進化をもたらすわけではないという、シンプルでありながら深遠な真実を、私たちに気づかせてくれます。
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