今回紹介するのはハッカーの歴史を紐解き、怪しげな個人のホビイストから政府や企業にとっても重要な地位を獲得したのかを解説するエミリー・クローズ著 "Hack to the Future: How World Governments Relentlessly Pursue and Domesticate Hackers"です。著者のクローズは、自身もNSAで7年間勤務した経験を持つベテランのハッカーであり、"Hacking History"プロジェクトの共同設立者でもあります。
ここで重要なキーワードは副題にもある"Domesticate"、つまりハッカーをどのように手なずけてきたかという点でしょうか。ただ、本書ではハッキングの歴史がかなり詳細に紹介されているので、コンピューターとハッキングの歴史書としてもなかなか面白いです。アメリカで育った電話のハッキング文化がが、なぜソ連では育たなかったのかなど、いろいろ面白いエピソードがたくさんありました。
本書の最大の特徴は、ハッカーの歴史を「ブロードバンド以前」と「ブロードバンド以後」という二つの時代に明確に区分し、かつて社会の周縁にいた「コンピュータオタク」たちが、わずか数十年で地政学的な力の担い手へと変貌を遂げた過程を克明に追跡している点にあります。単なる技術史や犯罪史としてではなく、米国政府がいかに戦略的にハッカーコミュニティを「追い詰め、飼いならし、兵器化」していったかという観点から描かれています。
ブロードバンド以前
黎明期:専門家たちの秘密の園
ブロードバンド以前の時代、インターネットは未開拓の領域でした。まだ研究施設や大学の研究所の中だけのものでしたし、オンラインに接続するには専門知識と技術が必要で、電話回線によるダイヤルアップ接続で一時的にネット空間に「潜る」という、現実世界との明確な境界が存在していました。
この時代の初期、ハッカーと呼ばれる人々は主に大学や研究機関の専門家でした。冷戦下でNSAやARPAといった政府機関が暗号解読やネットワーク研究を推進する中、計算機室では好奇心、いたずら心、反抗心、粘り強さといった「ハッカー美徳」を持つ技術者たちが活動していました。
アンダーグラウンドなサブカルチャーとしてのハッキング
いわゆる一般的なイメージの「ハッカー」が登場するのは1970年代です。電話網を遊び場にした「フォン・フリーカー」たちは、玩具の笛や自作のブルーボックスで電話システムをハックし、無料通話を実現しました。アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックが最初に作ったのは電話のハッキング装置「ブルーボックス」でした。Apple IIやAltair 8800といったパーソナルコンピュータの登場により、ハッキングは研究者の特権から愛好家の趣味へと広がっていきます。
しかし1980年代に入ると、状況は一変します。ウィスコンシン州の高校生グループ「The 414s」による研究所への不正侵入事件、そして1988年のモリスワーム事件は、ハッカーを「コンピューター不良少年」として社会に認識させました。特にモリスワームは、インターネット全体を混乱させた初の大規模サイバー事件として、政府にコンピュータ緊急対応チーム(CERT)の設立を促し、法整備を加速させる転換点となりました。
サブカルチャーから表舞台に出はじめる
1990年代、映画『ウォー・ゲーム』や『ハッカーズ』の公開、ケビン・ミトニックのような「スターハッカー」の登場により、ハッカーは大衆文化の一部となりました。そして1993年にラスベガスで始まったハッカー会議「DEF CON」は、かつてアンダーグラウンドだったハッカー文化を表舞台に引き出しました。興味深いことに、会場でFBI捜査官を見つけ出す「Spot the Fed」というゲームが恒例となったことは、この時代のハッカーと政府の微妙な関係を象徴しています。
ブロードバンド以後
パラダイムシフト:敵対者から協力者へ
ブロードバンドの普及により、インターネットは特別な知識を必要としない日常インフラとなりました。この変化に伴い、政府のハッカー観も根本的に転換します。1998年、ハッカー集団「L0pht(ロフト)」のメンバーが米上院公聴会で証言したことは画期的な出来事でした。政府は彼らを犯罪者としてではなく、国家安全保障に不可欠な知見を持つ専門家として認識し始めたのです。ちなみに、L0phtの共同創設者の一人がゴルゴ13(Golgo 13)というハンドル名なのは日本人的に少し面白いですね。
また、国防総省の演習「Eligible Receiver」で自軍のネットワークの脆弱性が暴露されると、NSAや国土安全保障省は積極的に元ハッカーの採用を開始しました。かつての「犯罪者予備軍」は「貴重な人材」へと変わっていきました。
ハクティビズムと国家の駆け引き
2000年代、政治的主張のためにハッキングを行う「ハクティビズム」が台頭します。アノニマスのような集団は、権力への対抗者として世界的な注目を集めました。しかしFBIは巧妙な戦略で対応しました。アノニマスから分裂したハッカー集団であるLulzSecメンバーを逮捕後、司法取引で内通者に仕立て上げ、他のハッカー摘発に利用したのです。これは単なる取り締まりではなく、ハッカーコミュニティを内側から掌握しようとする洗練された戦略でした。
サイバー戦争の時代
2010年代、ハッキングは文字通り「兵器」となりました。米イスラエルが開発したとされるStuxnetがイランの核施設を破壊し、ロシアによるウクライナの大規模停電攻撃が現実の被害をもたらしました。中国のAPT(高度持続的脅威)集団の活動も活発化し、サイバー空間は新たな戦場として認識されるようになりました。
さらに2016年の米大統領選挙では、ロシアによるハッキングとソーシャルメディアを使った世論操作が大きな問題となりました。ハッキングは「通常の政治手段」の一部となり、民主主義の根幹を揺るがす存在となったのです。
本書のコアなメッセージ
本書の核心的なメッセージは、ハッカーの「飼いならし(domestication)」という概念に集約されます。かつて反体制的で予測不能だったハッカーたちは、政府によって巧みに取り込まれ、国家戦略の一部として「兵器化」されていきました。
クローズが描き出すのは、単純な善悪の物語ではありません。政府は当初ハッカーを脅威として認識されましたが、やがてその能力の価値に気づき、戦略的に活用する道を選びました。一方、ハッカー側も、アウトローから専門職へ、趣味から産業へと変化する中で、体制との共存を受け入れていったのです。
