カタパルトスープレックス

興味がない人は無理して読まなくていいんだぜ。

書評|ソクラテス流の開かれた議論が解決する現代の問題|"Open Socrates: The Case for a Philosophical Life" by Agnes Callard

アグネス・カラードによる"Open Socrates"は、ソクラテスの哲学を現代によみがえらせる試みです。ソクラテスの哲学をカント、功利主義、徳倫理と対比させ、対話を通じて学ぶことが道徳的成長の中心となる「探究の倫理」として強調しています。

ソクラテスの哲学は西洋哲学の源流のひとつですが、著書がないため正しく理解されていないのではないかとアグネス・カラードは言います。ソクラテスの考え方を伝えるものは弟子であるプラトンの著書がほとんどで、どれがソクラテスの考え方で、どれがプラトンの考え方なのかがわかりにくいのも原因の一つにあるでしょう。

キャラードはソクラテスの哲学的アプローチの核心を「時宜を得ない問い(Untimely Questions)」と定義します。これは人が答えを先に持ち、後から問いを立てる逆転した状況を指します。例えば正義とは何かを考える前に、すでに「正義」という概念を日常で使っている状態です。

こうした問いに向き合うとき、人は最初「簡単な質問だ」と思い、次に「答えられない」と感じ、最終的に「進歩できる」と理解する三段階を経験します。私たちはこれらの「時宜を得ない問い(Untimely Questions)」に一人で答えられないため、他者との対話が必要になる、これがソクラテスのアプローチです。しかし多くの人は自分が考える能力を持つ「思考者」だと思いたいため、他者から考えを助けられることに抵抗を感じます。

キャラードによれば、ソクラテス的探求の核心は、他者との対話を通じてこれらの問いに取り組むことです。本の中間部では「助産師のパラドックス」、「ムーアの自己認識のパラドックス」と「メノンのパラドックス」についても議論しています。

メノンのパラドックス(Meno's Paradox)は、プラトンの対話篇『メノン』に登場する哲学的な問題で、探求や学びの可能性そのものに疑問を投げかけるものです。このパラドックスは以下のように提示されます:

  • もし何かをすでに知っているのであれば、それについて探求する必要はない。
  • もし何かを知らないのであれば、それが何であるかを知らないため、探求しようとしても見つけ出すことができない。

この結果、「探求は不可能ではないか」というジレンマが生じます。つまり、人はすでに知っていることを探求する必要はなく、知らないことを探求することもできないため、学ぶことや新しい知識を得ることが不可能に感じてしまいます。プラトンの対話篇『メノン』でソクラテスはイデアの概念を持ち出して答えるのですが、これはおそらくプラトンの解釈でしょう。ソクラテス自身の「メノンのパラドックス」への回答は「対話で真実にたどり着けるはず」なんだとアグネス・カラードは考えているようです。

本書の後半には「政治」と「愛」と「死」についてソクラテスの解釈が語られます。なぜならソクラテスは政治、愛、死という三つの分野で人間の無知が最も顕著だと考えたからです。彼は「善くあるにはどうすればよいか分からない場合、学ぶことが善くあるための道だ」と発見しました。

政治には「リベラル」と「保守」の二つの考え方があります。どちらが正しいのか?ソクラテスから見ればどちらも正しくありません。「リベラル」も「保守」も本当に正しい政治の在り方を知らない。知らないということを知らない。彼らにとって「正しい政治とは」は「時宜を得ない問い(Untimely Questions)」ですでに答えが分っている(と思っている)。本当の答えはあるが、そこにたどり着くにはお互いの対話が必要。これがソクラテスの考える「政治」です。

ここで紹介されているソクラテスの考え方と、現代のSNSでの議論との違いも興味深い点です。XやFacebookでは、自分の立場を守り、他者を攻撃することが一般的です。しかし、ソクラテス的な対話では、自分の前提を疑い、相手の意見に真摯に耳を傾けることが求められます。勝ち負けではなく、共に理解を深めることが目的なのです。

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