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交差するはずのなかった人生の旋律:『ファンファーレ!ふたつの音』が奏でる兄弟の物語

『ファンファーレ!ふたつの音』(原題:En fanfare)は、2024年に公開されたフランスのドラマティック・コメディ映画です。監督は俳優、脚本家としても活動するエマニュエル・クールコルが務めています。彼は『アプローズ、アプローズ!囚人たちの大舞台』などで社会の周縁にいる人々を描いてきました。本作は2024年のカンヌ国際映画祭「カンヌ・プルミエール」部門で上映されました。フランスのセザール賞では作品賞を含む7部門にノミネートされました。

物語は、異なる環境で育った二人の兄弟が音楽を通じて絆を築く姿を描きます。クールコル監督は英国の社会派コメディの手法を取り入れ、ユーモアと社会批評を融合させています。プロの俳優とフランス北部の実際のアマチュア吹奏楽団を共演させることで、物語にリアリティと人間的な温かみを与えています。

あらすじ|パリの指揮者と北フランスの労働者

主人公は、パリを拠点とする著名なオーケストラ指揮者のティボー・デゾルモーです。キャリアの絶頂期にあった彼は、リハーサル中に倒れ、急性白血病と診断されます。治療には緊急の骨髄移植が必要となり、彼の人生は大きな転換点を迎えます。

ドナーを探す中で、ティボーは自身の出生の秘密を知ることになります。DNA検査の結果、彼は養子であり、妹とは血縁関係がありませんでした。この事実は彼のアイデンティティを揺るがし、実の家族を探す旅へと駆り立てます。その結果、フランス北部の工業地帯の町で学校食堂の従業員として働く弟、ジミー・ルコックの存在が明らかになります。

エリート的なクラシック音楽の世界に生きるティボーと、アマチュアの吹奏楽団(ファンファーレ)での演奏を心の支えとする労働者階級のジミー。住む世界も階級も異なる二人を隔てる溝は深いものでした。しかし、ティボーはジミーが持つ絶対音感をはじめとする、磨かれていない音楽の才能にすぐ気づきます。音楽という共通の情熱が、分断された兄弟の世界を繋ぐ架け橋となり、物語は新たな展開を見せていきます。

テーマ|音楽は社会的格差の壁を越えるか

本作の根底には、人間が生まれた環境によって人生がどれほど左右されるかという問いがあります。パリの裕福な家庭で育ち、文化的な恩恵を受けてきたティボーと、労働者階級の町でその機会を得られなかったジミー。映画は、もしジミーが兄と同じ環境で育てられていたら、同じ人生を歩んだのだろうかと観客に問いかけます。ティボーが抱く罪悪感と、弟が享受できなかった特権への「償い」の思いが、物語を動かす原動力となります。

この社会的な分断を乗り越える普遍的な言語として、「音楽」が中心的な役割を果たします。ティボーの世界を象徴するクラシック音楽、ジミーの共同体を表すブラスバンド、そして二人の才能が初めて交わるジャズ。多様な音楽ジャンルが、登場人物たちの背景を表現するだけでなく、階級や文化の違いを超えたコミュニケーションの手段として機能しています。

さらに、映画は「再生と共同体の構築」というテーマも探求します。物語はティボーが白血病を克服する個人的な再生であると同時に、生き別れた兄弟が関係を築き直し、衰退しつつある地域の楽団が活気を取り戻すという、より大きなスケールの再生を描いています。本作が示すのは、血縁関係だけが家族を定義するのではなく、共通の目的や芸術活動を通じて築かれる共同体もまた、もう一つの「家族」となり得るという視点です。

キャラクター造形|「もう一つの人生」の可能性

主人公ティボー・デゾルモーは、音楽、文化、教育における恵まれた環境で育った人物として描かれます。彼の人生は完璧に秩序立てられていましたが、病と自身の出自の発見という予期せぬ出来事によって、その基盤が大きく揺らぎます。物語が進むにつれて彼の動機は変化します。単なる生存本能から、自身が享受してきた幸運に対する罪悪感と、弟の人生を「正したい」という贖罪の意識へと変わっていくのです。

一方、弟のジミー・ルコックは、実現されなかった潜在能力、いわば「もしも」の人生を象徴するキャラクターです。彼は兄と同等の音楽的才能を持ちながらも、それを育む環境に恵まれませんでした。フランス北部の労働者階級という現実に根差し、ある種の諦めと共に生きてきた彼の日常は、ティボーの出現によって一変します。兄との出会いは、彼に自身の限界と向き合わせると同時に、それを超えた未来を夢見るきっかけを与えます。

この対照的な二人を取り巻く脇役たちも重要な役割を担います。特に、アマチュア楽団「ララン市の鉱夫市民吹奏楽団」のメンバーが物語にリアリティと温かみを与える存在です。監督が実際の楽団員を本人役で起用したことで、登場人物たちは類型化を免れ、映画は地域社会の現実に深く根差したものとなりました。彼らは単なる背景ではなく、共同体の力と人間的な繋がりを象徴する、生きたキャラクターとして描かれています。

映画技法|本物の楽団が奏でるリアリティ

エマニュエル・クールコル監督の演出は、物語と俳優を重視する抑制の効いたスタイルが特徴です。本作でもそのアプローチは一貫しており、リアリズムを追求するために、実際に活動するララン市の鉱夫市民吹奏楽団を起用しました。この選択は、フィクションの物語に独特の質感を与えています。俳優の演技と相まって、物語に強い説得力をもたらしました。

脚本と編集の巧みさも、本作を支える重要な要素です。クールコル監督とイレーヌ・ムスカリによる脚本は、物語の複雑な前提を冒頭のわずか10分間で効率的に提示する構成力で評価されています。また、ゲリック・カターラによる編集は、そのテンポの良さでセザール賞にノミネートされました。観客をスムーズに物語の世界へと引き込みます。一方で、この計算された緻密さが、解釈の余地を狭めているという見方もあります。

音楽は本作において、単なる背景音楽ではなく、物語を推進する役割を担っています。ティボーのクラシック、ジミーのブラスバンド、そして二人が心を通わせるジャズ。音楽ジャンルそのものが登場人物の社会的背景や内面を物語ります。クライマックスで演奏されるラヴェルの『ボレロ』は、産業のリズムに着想を得た楽曲です。これを労働者たちの楽団が演奏することで、エリート芸術と大衆芸術の融合という映画のテーマが象徴されます。

まとめ|ユーモアと感動で社会を問う

『ファンファーレ!ふたつの音』は、出自も階級も異なる二人の兄弟が音楽を通じて絆を取り戻す過程を描いた作品です。ヒューマニティあふれる物語となっています。英国の社会派コメディを思わせる作風で、社会的不平等というシリアスなテーマを扱いながらも、ユーモアと感動的な物語の力で観る者の心に訴えかけます。

本作は、社会の片隅で生きる人々に光を当ててきたエマニュエル・クールコル監督の作家性が反映された一作と言えるでしょう。芸術活動がもたらす再生の力を描き続けてきた監督らしい作品です。プロの俳優とアマチュアの音楽家を融合させる手法によって、物語に深いリアリティと温かみを与えることに成功しています。