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『ルノワール』映画レビュー|少女の視線が映す1980年代の家族と成長

早川千絵監督が、『Plan 75』(2022年)に続いて、自身の原体験をもとにメガホンを取った長編映画二作目。舞台は1987年、バブル絶頂の東京郊外。主演の鈴木唯(11歳)が演じる主人公・フキは、両親と暮らす少女。闘病中の父・圭司(リリー・フランキー)、多忙な母・詩子(石田ひかり)との3人家族の日常を、繊細な視線で描くドラマです

『Plan 75』は、静かな映画ながら、観客に解釈を委ねるというより、主張がとても強く感じました。そういった意味では監督の主張が少しうるさいと感じた部分もありました。しかし、本作では前作と同じ静かな映画でありつつ、監督の経験に基づいたストーリーを展開しながらも、解釈は観客に委ねる演出が効果的だったと思います。

あらすじ|少女の視点で描かれる1980年代の家族と想像力

映画『ルノワール』の物語は、1980年代後半の東京郊外を舞台に、11歳の少女フキ(鈴木唯)の視点から描かれます。フキは、闘病中の父(リリー・フランキー)と仕事に追われる母(石田ひかり)とともに静かな住宅地で暮らしています。フキは豊かな感受性と想像力を持ち、日常の出来事を独自の視点で観察しながら、自分のまわりの世界を少しずつ理解しようとしています。

大人の世界はフキにとって不思議で、時には可笑しく見えます。その一方で、父の病や、母とのすれ違いなど、家庭内の変化が彼女の暮らしに影を落とし始めます。フキは、目の前の現実に戸惑いながらも、友人との関わりや日々の小さな発見を通して、自分の居場所を見いだそうとします。

本作の時代背景である1980年代は、監督自身の記憶と重なる特別な時代でもあります。インターネットやSNSが存在しなかった当時は、情報が限られていた分、子どもたちの想像力がより自由に働く環境がありました。そうした時代において、フキのような感受性の強い子どもが、自分なりの解釈で大人たちの世界と向き合う過程は、物語の主題である成長の瞬間をより静かに、かつ丁寧に映し出しています。

テーマ|子供の成長をめぐる哀しみと余白の感覚

『ルノワール』の中心には、11歳の少女フキが経験する成長の過程が描かれています。早川千絵監督はこの作品で、「哀しい」を知ることが子供から大人への移行において重要な契機であると位置づけています。フキは、父の病、母とのすれ違い、家族の変化といった現実に直面しながら、少しずつその「哀しい」感情を受け止めていきます。

そうした経験は、決して劇的に描かれるわけではなく、日常の中にある違和感や、ふとした気づきの積み重ねとして表現されます。子供特有の好奇心や感受性と、否応なく訪れる喪失や変化。その両方が同時に存在することで、フキの内面には揺らぎが生まれます。監督は、こうした揺らぎが人間としての成熟に欠かせない要素であるとし、その描写に重点を置いています。

また、監督が語る「余白を楽しむ映画」という方針に象徴されるように、本作では観客に明確な結論を示すのではなく、解釈の余地を残す構成がとられています。1980年代という情報が限られた時代設定は、フキの自由な想像力が育まれる背景として機能し、大人の世界が完全に理解できない曖昧なものとして描かれることに意味があります。その不確かさは、観客にも感覚的に共有されるよう設計されており、結果として各自の経験に重ねて受け取ることができる構造となっています。

キャラクター造形|子供の視点で映し出される家族のかたち

『ルノワール』における登場人物たちは、物語の主題を支える重要な存在です。特に主人公フキを演じた鈴木唯の演技は、作品全体の世界観と密接に結びついています。オーディションで選ばれた鈴木は当時11歳。自然な佇まいや予測のつかない言動が、フキというキャラクターの感受性や自由さをそのまま体現しており、映画評論家からも高く評価されています。早川監督自身も、彼女の存在を「目が離せない」と評し、作品の重要な柱としています。

監督は子役の扱いを他のキャストと変えることなく、撮影前に脚本を渡すなど、対等なクリエイティブパートナーとして接していました。この信頼関係が、鈴木唯の自然な演技を引き出し、フキという存在にリアリティを与えています。彼女の演技は、言葉で説明されるのではなく、視線や間、空気の揺らぎといったかたちで観客に届きます。そのため、フキの視点を通じて物語の感情的な「余白」を体験する構造が生まれています。

フキの両親である圭司(リリー・フランキー)と詩子(石田ひかり)も、それぞれの立場から家族の物語を支えています。圭司は病と向き合いながら娘と静かな時間を過ごし、詩子は仕事と家庭の狭間で疲弊しながらも母親としての責任を果たそうとしています。さらに、詩子と関係を持つ御前崎透(中島歩)や、その他の脇役たちも、それぞれに複雑な感情を抱えた存在として描かれます。監督が語る「大人も不完全」という視点が、それぞれのキャラクターに反映されており、フキの目に映る大人の世界が、単純ではない現実として立ち上がっていきます。

映画技法|子供の視点から組み上げる静かな演出と余白の表現

『ルノワール』は、主人公フキの視点を通じて語られる物語であることから、その演出や技法も一貫して子供の目線に寄り添っています。撮影は前作『PLAN 75』に続き浦田秀穂が担当し、監督との間に共有された美意識が随所に反映されています。カメラは低い位置から構図を組み立て、子供の視点を強調することで、フキの視野に入る世界を静かに描き出します。画面は色彩や光のコントラストを抑え、80年代の郊外の空気感を自然に表現しています。

編集はアンヌ・クロッツが手がけており、「First Cut Lab Japan 2024」といった編集支援プログラムも活用されました。長回しや間の取り方に重点が置かれており、語られない情報を観客に想像させる構成になっています。演技面では、早川監督は俳優に対し強い指示を与えるのではなく、対話を重ねながら自然な反応を引き出す姿勢を貫いています。特にフキ役の鈴木唯には、台詞の正確さよりもその場の感情や気づきを重視する演出がなされ、映像に柔らかく揺らぐようなリアリティを与えています。

本作には、ビクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』や相米慎二監督の『お引越し』(1993年)といった作品からの影響も見られます。いずれも子供の視点を軸に、現実と想像の境界を曖昧に描いた作品であり、早川監督がフキの感受性を表現する際の参考としたことがうかがえます。こうした演出は、「余白を楽しむ映画」という監督の言葉に通じており、観客が自らの感覚で物語を補完することを促しています。

美術や音響の面でも、抑制された表現が一貫しています。1980年代という時代設定が、フキの想像力をより自由に働かせる背景として機能しており、情報過多ではない世界の描写が静かに進行します。昭和の風景が残る岐阜市内で撮影されたロケーションも、当時の空気感を醸成する要素として効果的に用いられています。音楽はレミ・ブーバルによるもので、控えめながら感情に寄り添うような配置となっており、映像と調和する形で映画全体の印象を形成しています。

まとめ|静かに記憶に残る、ひとつの家族の時間

『ルノワール』は、子供の視点から家族の変化を見つめる物語を、抑制された語り口と柔らかな映像で丁寧に描いています。劇的な展開を避けながら、少女が経験する小さな揺らぎや気づきを積み重ねていく構成は、観客にさまざまな解釈を許す「余白」を残しながら、見る人の記憶と静かに響き合います。鈴木唯の存在感、細やかな演出、美術や音響に至るまで、一貫した美意識が保たれており、作品全体に落ち着いた統一感が感じられます。

おそらく大きな影響を受けたであろう相米慎二監督の『お葬式』は、とてもエモーショナルな作品でしたが、本作はより内省的な作品に仕上がっています。それはタイトルの『ルノワール』にも表れているのではないかと思います。監督は「作品の意味をタイトルに込めたくなかった」と述べていますが、その印象派のような描き方はタイトルにぴったりだったのではないかと思います 。