古今東西そうですが、ファッションのeコマースではインフルエンサーが重要な役割を果たします。KIMONOを商標登録しようとして物議を醸したキム・カーダシアンとか。タイでピンクが大流行して、オフィスの中でもピンクを身につけている人が多かった時期がありました。タイでは当時の国王だったラーマ9世がファッションリーダーで、一時期ピンクを身につけていたんですね。タイ王室の色は黄色で、普段は黄色い服を着てるからピンクが新鮮だったんでしょうね。eコマースの世界を引っ張っている中国でも同様で、ホンレン(红人)とかワンホン(网红)とかKOL(Key Opinion Leader)と呼ばれるインフルエンサーが重要な地位を占めています。
MobileQuestの調査によると、中国のミレニアル世代であるリンリンホウ(00后)とジウリンホウ(90后)が重要なのがわかります。そして、その起点となっているのがインフルエンサーです。
インフルエンサーとブランドの出会い
中国ファッションのeコマースの世界でいち早くKOLの地位を確立した一人がジャン・ダーイー(张大奕)です。早くから事業化して、ルーハングループ(如涵控股)としていまでは女性服、下着、メイク、家庭用品の四つのジャンルで年商22億中国元(約350億円)のビジネスとなっています。ビジネスモデルは違いますが、日本だとインフルエンサーのビジネスという意味ではUUUMに近いんですかね(UUUMは広告売上が主体)。そんなルーハンの表看板がジャン・ダーイーだとしたら、裏で番頭としてビジネスを支えているのがフェン・ミン(冯敏)です。
フェン・ミンは「バーリンホウ(80后)」という中国で勢いのある1980年代生まれの世代の一人です。2005年にインターネットのサービスプロバイダー事業をはじめたのが最初の起業でした。しかし、サービスプロバイダー事業はすぐに下火になり、事業を通販ビジネスにピボットします。当時は大流行してナスダックにまで上場した「マイコーリン(麦考林)」から着想した女性服通販でした。そして、ファッションブランド「リーベイリン(莉贝琳)」を2011年に立ち上げました。
ジャン・ダーイーはフェン・ミンのブランドのモデルをしていました。ファッションモデルとファッションブランド。これが二人の接点でした。ジャン・ダーイーもすでにソーシャルメディアでファンがつきはじめていて、影響力が現れてきた頃です。ジャン・ダーイーのインフルエンサーとしての影響力と、フェン・ミンのファッションビジネスの経験を合わせれば、さらに成長できると二人は考えたようです。そこで2014年7月に舞台をC2Cコマースプラットフォームのタオバオ(淘宝网)に移して、タオバオのトップブランドの仲間入りをしました。
インフルエンサーエコノミー
リーベイリンがタオバオ開店初日には、他の店の一年分の売上を1日で達成したそうです。この成功をもとにフェン・ミンは他のインフルエンサーとも協業するようになります。これがルーハンの設立に繋がっていきます。
当時はライブコマースはまだなかったので、ヨウク(优酷)などの別のビデオプラットフォームを使っていました。解像度も現在ほど良くはありませんでしたが、画像よりは説得力がありました。
ジャン・ダーイーの率直な物言いがファンとの距離を縮めました。ファンはジャン・ダーイーを「ダーイーマ(大姨妈:おばさん)」と呼び、ジャン・ダーイーはファンを「イージャオベイ(E罩杯:Eカップ)」と呼びました。ファンはジャン・ダーイーの関係はとても親密で、ファンは彼女に離婚のためのドレスを選んでもらったりしました。
中国のインフルエンサーエコノミーはワンホンジンジー(网红经济)と言います。これを事業化したのがジャン・ダーイーとフェン・ミンのルーハンです。ルーハンはアリババから資金調達した後に、ナスダックで上場を果たしました。
ルーハンの売上はまだまだジャン・ダーイー頼りなため、第二、第三のインフルエンサーを育成していく必要があります。とはいえ、中国のインフルエンサーエコノミーを築いた功績は素晴らしいものがありますね。