カタパルトスープレックス

興味がない人は無理して読まなくていいんだぜ。

殺すアートと救うデザイン、そして死にゆくデザイン

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Photo by Gratisography from Pexels

三年前の今日。2016年11月6日、あるデザインのイベントで、日本のデザインに大きな影響を与える事件が起きました。いや、ひょっとしたらデザイナーは何も感じていないのかもしれません。悲しいけど、そういうこともあるよねって思っているのかもしれません。自分とは関係ない話だと思っているかもしれません。ある事件をきっかけに「何か起きた」だけが影響ではありません。「何も起きなかった」も結果ですし、影響を与えます。人間が車を運転しないほうが事故が減るかもしれないように、人間がデザインをしないほうが事故が減るのかもしれません。そう考えさせる出来事でした。

今年開催された『クリムト展』を観たとき、彼を代表とするウィーン分離派はデザイナーの集まりだったんだと思いました。クリムトの『ベートーヴェン・フリーズ』もそうですが、彼らの出版した月刊誌『ヴェール・サクルム』の画集を眺めていると、洋服のパターンナーの仕事との共通点を感じます。デザイン(design)の定義の一つは「装飾的なパターン"a decorative pattern"」ですからね。でもクリムトの作品はデザインではなく、アートです。装飾的なパターンとしてデザイン的ですが、しっかりとアートです。『クリムト展』はアートの展示なので、アートで全く問題ありません。

六本木の21_21 DESIGN SIGHTで開催された『虫展』は「デザインの新たな一面を虫から学ぶ展覧会」との触れ込みでした。でも、デザインを感じさせる部分は少なく、ボクはむしろアートだと思いました。虫の羽の折りたたみとか、蟻のコミュニケーションとか、デザイン的な展示もありました。虫のこういう部分が、商業製品と似てるね、とか。でも、やっぱりアート的な展示の方が多かったとボクは思いました。「デザイン」という言葉は必要だったでしょうか?

また、『デザイナート』というデザインとアートの横断するモノやコトに注目するイベントもありました。デザインの日本語訳は「設計」です。ビルや洋服、商品やサービスの見た目や中身を設計するのがデザインです。使うモノやサービスを設計するのがデザインであれば、その目的はモノやサービスを使いやすくすることです。『虫展』や『デザイナート』にはそのような目的や意図を感じることはできませんでした。面白いイベントだとは思いましたけどね。

これらの「デザイン」と関連する展示をいくつか観て、思いました。日本はやっぱりデザインを理解してないんだな。振り返りができず、学べない。結局のところ、見た目がいいのがデザイン。オシャレっぽいのがデザイン。根本的なデザインの目的である「人を助ける」は二の次。

振り返れば、『東京デザインウィーク』もアートなのかデザインなのかよくわからないイベントでした。そして、それが悲劇の根本的な原因だと思います。あのジャングルジムは根本的にデザインの仕事ではありませんでした。アートとデザインは重なり合う部分もありますが、決定的な違いもあります。アートの目的は対話です。アーティストとオーディエンスの作品を通じての対話です。その結果、救われることもあるでしょうし、ショックで死んでしまうこともあるでしょう。デザインの目的は人を救うことです。デザインが利用者と対話をすることもあります。デザインの対話は目的を達成するための手段です。ユーザーが使いやすいように語りかけているのです。「ほら、ここを押せば開くんだよ」と。それが、アートとの違いです。

例えば建築があったとします。素晴らしいアートとしての住居は、ひょっとしたら住みにくいかもしれません。そもそも玄関がないかもしれません。建物ですらないかもしれません。しかし、人に何かを問いかけるでしょう。住居とは何なのか?アートは挑発します。一方で素晴らしいデザインの住居は、住みやすいはずです。長く住みたくなるはずです。人を招きたくなるかもしれません。それとも、一人で集中できる環境を提供してくれるかも。それがデザインです。アートとデザインは重なる部分はありますが、根本的に目的が違います。もちろん、悪いデザインもあって、人の役に立たない場合もあります。それをなくすのがデザイナーの仕事です。

悲劇的なデザイン ―あなたのデザインが誰かを傷つけたかもしれないと考えたことはありますか?

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東京デザインウィークの火災で5歳男児が亡くなった事件は日本の「デザイン」に暗い影を落としました。当時、日本に帰ってきたばかりのボクは「起きたこと」にも驚きましたし、悲しみましたが、「起きなかったこと」にも驚き、悲しみました。

三年経った今年に入り、学生や教授、イベント主催者の社長が書類送検となり、事件としては一応の決着がついた形です。人災だった。消火設備の不備だった。ずさんな運営だった。それだけですか?もう一度思い起こしてください。デザインって何ですか?

デザインウィーク自体は無くなっていません。株式会社TOKYO DESIGN WEEKとともに東京デザインウィークを主催していた特定非営利活動法人デザインアソシエーション 日本デザインウィークを継続的に運営しています。何にも変わっていません。当時の関係者で唯一まともに振り返りをしたのは茂木健一郎さんくらいで、あとはほぼ全員だんまりを決め込みました。振り返った茂木健一郎さんもなんだかんだ言って日本デザインウィークと関わり続けています

当事者だけではありません。日本のデザイン業界がこの件に関して振り返り、二度と繰り返されないよう努力はしませんでした。何事もなかったようにデザインウィークは続いています。オシャレで「デザインっぽい」イベントも毎年開催されます。デザイナーとしてこのようなことが起きないようにするためにはどうしたらいいか?などという問題提起は見たことがありません。ボクが見つけられなかっただけかもしれませんが。「何か言う」のも行動であれば、「何も言わない」のも行動ですからね。日本において、デザインの意味ってなんなんですかね?結局のところはデザインはアートっぽくてお金がもらえるオシャレな何かなんでしょうか?死んだんですよ、子供が。

AIは過去から学び、改善を続けます。マーカス・デュ・ソートイの"The Creativity Code"で検証されているように、人工知能がアートを表現するのはまだまだ先になりそうです。対話は意思がないとできないからです。でも、デザインはそのうちAIでもできるようになると思います。むしろ、人間よりいいデザインを作ることができるようになるかもしれません。インターフェースなんてユーザーの利用履歴からリアルタイムで最適化とかできそうですものね。日本のデザインは元気ですか?