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書評|日本のスタートアップが海外のVCから投資されない理由|"Secrets of Sand Hill Road" by Scott Kupor

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業界にはそれを象徴する中心地があります。映画の象徴がハリウッドで、金融の象徴がウォール・ストリート(イギリスのシティでもいいですが)であるように、ベンチャーキャピタルの象徴がシリコンバレーにあるサンド・ヒル・ロードなのだそうです。

最も有名なベンチャーキャピタルの一つであるアンドリーセン・ホロウィッツ(略称:a16z)の第一号社員であり『HARD THINGS』で有名なベン・ホロウィッツにとって長年にわたり片腕となってきたスコット・カーパのはじめての書籍"Secrets of Sand Hill Road"はスタートアップの起業家がよりベンチャーキャピタルを理解できるように、情報の不均衡を解決するために書かれた本です。

Secrets of Sand Hill Road: Venture Capital and How to Get It (English Edition)

Secrets of Sand Hill Road: Venture Capital and How to Get It (English Edition)

これを読んだ最初の感想なのですが、起業家だけでなく、日本の投資家や経営者にとっても大きな参考になる本だと思いました。 おそらく、日本人の多くは金融を理解していないし、スケール(規模)の大切さを理解していない。頭では理解しているのかもしれないけど、行動や習慣として身についていない。ここで描かれるベンチャーキャピタルの生態系は金融とスケールを最大限に活かす仕組みを、関わる人たちが長年かけて築き上げてきたものなのだと理解できます。

ベンチャーキャピタルの生態系と金融

日本にはメジャーなベンチャーキャピタル はありません。メジャーとは世界のトップに位置するベンチャーキャピタル です。具体的にはAccelSequoiaとかa16zとかです。シンガポールや中国にはオフィスやあったり、代表者がいるのに。実を言えばソフトバンクやサイバーエージェントは積極的にスタートアップに多額の投資していますし、世界的なメジャープレーヤーだったりします。しかし、多額の投資は日本のスタートアップではなく、中国やインドや東南アジアのスタートアップに対してです。なぜ、日本のスタートアップには大きな投資がされないのでしょうか?それがスケールの問題です。

ベンチャーキャピタル(ジェネラル・パートナー:GP)にとっての顧客は投資家(リミテッド・パートナー:LP)です。投資家がベンチャーキャピタルに資金を提供して、運用してもらい、運用益を得る。ベンチャーキャピタルはスタートアップに投資して、IPOやM&Aで利益を確保して、その利益を投資家に還元する。投資家、ベンチャーキャピタル、スタートアップの関係を簡単に説明すればこんな感じになります。

投資家とは大学基金、年金基金、企業年金、保険会社、ファンド・オブ・ファンズなどです。実は、ボクたち普通の人から集めた金だったりします。投資家たちは一般の人たちからお金を預かって運用します。その運用先の一つがベンチャーキャピタルです。そのほかにも株式、ヘッジファンド、社債や国債、不動産など様々な投資先があります。リスク回避と流動性確保のために現金も少し保有しますが、ごく一部です。

LPは基準となる金融指数と比較して500から800以上のベーシスポイント(金利の単位:1ベーシスポイント=0.01%)を上回る利益をベンチャーキャピタルには期待します。たとえば米国S&Pの10年の利回りが7%であれば、ベンチャーキャピタルのポートフォリオからは12から15%を期待します。

日本とアメリカの金融力の差が国力の差になっている

教育が大事だと言われています。教育に投資をしないと、将来の人材が育たずに、国力も衰えていくと言われます。

この本では投資家を理解するためにイェール大学の大学基金が例としてあげられています。2018年度のレポート(PDF)を見ると、基金の規模は294億ドル(約3.2兆円)です。イェール大学の基金は資金運用で年間8%の利益を生んでいて、大学の年間売上1.15億ドルの1/3を占めています。生徒の学費は運営費用の1/10しか賄えないので、基金の運営益がどれだけ大学運営にとって重要なのかがわかります。漫画『インベスターZ』の世界はアメリカの大学では当たり前なんですね。

インベスターZ(1)

インベスターZ(1)

イェール大学の大学基金はSmoothing Ruleという独自の運用ルールを採用していて、基金からどれくらい大学の運営費を拠出するか決められています。インフレ率が2%で物価が上昇すると仮定した場合、Smoothing Ruleに従えば基金は年間で7.25%の利益を資金運用で確保する必要があります。イェール大学のベンチャーキャピタルへの投資は全体の16%で、過去20年の実績では毎年77%の利益をベンチャーキャピタルへの投資から得ています(ただし、過去10年では18%。ドットコムバブルってすごかったのね。)。

では、日本はどうなのかと調べてみると日本の最高学府である東京大学の基金は2017年度実績で109億円でイェール大学の294億ドル(約3.2兆円)と比べると約1/300です。驚愕の差です。1/3ならまだわかるのですが、1/300ですよ。利率は1%未満(イェール大学は8%)で運用益は9100万円。うーん、東京大学は国立大学だから、基金にはあまり頼らないのかなあ……と金持ちっぽい私立の慶應義塾の大学基金を調べてみたら2018年3月末時点で688億円で、東大よりはマシだけど、イェール大学の3.2兆円には遠く及ばず。

残念ながら慶應義塾の基金運用実績については公開していないようですが、自己資金で賄えるほど稼げていないようです。公表されている資料を見ると慶應の研究における自己資金比率は3%。慶應でこれですから、他は察して知るべしでしょう。自ら稼ぐ力はなく、研究資金のほとんどを外部に頼っているのがわかります。日本の大学の金融力のなさが、資金力に直接効いてしまっています。日本の大学は自分でもっと稼げるようになった方がいいですね。

日本の金融力の低さが日本の生産性低下を招いているとマリアナ・マッツカートの本でも理解しましたが、国の基礎体力でもある教育も日本は金融力の低さが原因でアメリカと大きな差をつけられているんですね。いっそのこと、イェール大学に大学基金の運用をアウトソースしたらいいのではないですかね。

日本のスタートアップが投資対象として魅力的でない理由

日本のスタートアップがベンチャーキャピタル にとって魅力的でない理由はスケールしないからです。日本のスタートアップはほぼ全て日本を市場と見て起業します。しかし、以前にも書きましたが、日本(=日本語)は英語圏や中国語圏と比べるとあまりにも小さいし、人口が多いインドやインドネシアと比べると成長率があまりにも低いのです。ベンチャーキャピタルは投資利益を得るためにはスケールするスタートアップに投資する必要があります。

日本のスタートアップは日本を市場にしている段階で、ベンチャーキャピタルが必要とする市場規模が見込めません。「まず日本で成功したら」と言いますが、日本で成功してから世界で成功した日本のスタートアップなんてありますか?そんな空想にメジャーなベンチャーキャピタルは投資しません。

この本を読むとベンチャーキャピタルが必要とするスケールと時間が理解できます。ベンチャーキャピタルの利益の中間値は実はあまり高くなく、それだけを見ると投資家にとってあまり魅力的な投資先ではありません。NASDAQより160ベーシスポイント低いので、ベンチャーキャピタルに投資するならNASDAQ平均に投資した方がずっといいのです。しかし、ベンチャーキャピタルはベルカーブのように平均的な会社が中央にたくさんいるのではなく、利益は冪乗則カーブを描いてトップのベンチャーキャピタルが高い利回りを叩き出しています。トップのベンチャーキャピタルとは先に挙げたSequoiaやa16zで、凡庸なベンチャーキャピタル と300ベーシスポイントの開きがあるそうです。だから、NASDAQより魅力的な投資先なのです。

ベンチャーキャピタルを野球の打率で考えるのは間違っているのだそうです。5割が投資額以上のリターンを得ているので、ベンチャーキャピタル の打率は5割と悪くないように見えます。しかし、5割は投資した金を失っている。ベンチャーキャピタル の世界では2割から3割がシングルヒットか二塁打。投資額の二倍くらい戻ってきますが、5割の損失は補えません。そして、残りの2割から3割がホームラン。このホームランから10〜100倍のリターンが得られます。

野球の統計で例えるのであれば、打率よりもホームラン比率(At bats per home run)の方が適切なのだそうです。フェイスブックは1000倍だったそうです。1000倍のリターンが得られれば、それ以外全てを失っても全く問題ない。ホームラン比率を高めるためには三振は問題でなく、ホームランの機会を逃す方がよっぽど痛い。フェイスブックの初期ラウンドに参加する機会は二度と来ないのです。

では、ホームランを打つために何を基準としてベンチャーキャピタルはスタートアップに投資するのでしょうか。基準は三つあって、1) ひと、2) プロダクト、3) 市場です。いくら創業者チームが素晴らしくて、プロダクトが良くても、市場が小さかったら投資する魅力はありません。残念ながら日本のドリームチームが素晴らしいプロダクトを作っても、日本市場だけをみていた次のフェイスブックにはなれません。これが日本のスタートアップが海外のメジャー級のベンチャーキャピタルから投資されない理由です。日本のスタートアップがメジャー級から投資されるには、福山太郎さんのFondのようにアメリカ市場を直接狙う必要があります。ボクがアドバイザーをしていたシンガポールのスタートアップも、シンガポールを起点にしながらアメリカ市場を直接狙って、メジャー級から投資を受けました。

この本はどんな人にオススメか

世界を相手に起業してやろう!メジャー級から資金提供を受けてユニコーンになってやろう!という気概のある将来の創業者にはオススメです。そもそもそういう人たちのために書かれた本です。

スタートアップの資金調達指南書であればブラッド・フェルドの"Venture Deals"がすでにバイブルとしてありますし、本書でカバーされている内容もかなり重複します。日本で起業して、日本で資金調達するのであれば『起業のファイナンス』があります。

この本はむしろ日本の経営者に読んで欲しいですね。あまりに多くの日本企業が「まずは日本で成功してから」と小さくまとまっています。これではアメリカや中国の企業に追いつけるわけがありません。そうでしょう?だって、彼らの現場であるアメリカや中国の市場の方がずっと大きいのですから。日本→海外だと一歩遅れることになります。この一歩の差はスピードの速いこの業界では致命的です。その時にはすでに新しいトレンドが生まれています。