カタパルトスープレックス

興味がない人は無理して読まなくていいんだぜ。

書籍|能力主義と自己責任は正しいのか?|"The Tyranny of Merit" by Michael J. Sandel

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2020年のアメリカ大統領選挙で負けたものの、なぜドナルド・トランプはこれほど多くの人を惹きつけるのか?なぜイギリス人はEU離脱を支持するのか?ポピュリズムと一言で言うけれど、なぜポピュリズムがここまで台頭してきたのか?ローレンス・レッシグが主張するように、政治が人々を代表していない。国民全員が四年生大学を出ているわけじゃないんだぜ!(アメリカは1/3しか学位を持っていない)。

トマ・ピケティの新著"Capital and Ideology"ではポピュリズム台頭の理由を一部を説明してくれてはいますが、非常に分かりにくい議論でもありました。それが日本語ではバラモン左翼(brahmin left)と商人右翼(merchant right)の議論です。なぜ、ポピュリズムが台頭するのか?それは既存の政党が有効な政策を打ち出せていないからだ。その主張はわかるのですが、ピンとこない。なぜか?右と左に分ける分類自体が有効性を失っているのではないでしょうか。現在において保守とリベラルの決定的な違いってなんですかね?

日本では『これから「正義」の話をしよう』が出版されたマイケル・サンデルの新著"The Tyranny of Merit"はピケティが完全には答えることができなかった問題を掘り下げて答えようとする意欲作です。問題の根本は行き過ぎた能力主義と自己責任です。保守もリベラルも共に能力主義の路線を宗教のように信じてしまっているため、本当に求められているニーズが見れずにピントがずれてしまっている。

本書で問題提起されているいき過ぎた能力主義はリベラルと保守のような党派とは関係なく蔓延している政治の逸脱だとマイケル・サンデルは主張します。能力があるものが成功する、生まれたスタート地点に関係なく。貧しい家庭の生まれでも、裕福な家庭の生まれでも、努力して勝ち得た能力があれば成功できる。これが能力主義です。能力主義以前の階級主義より全然いいですよね?この能力主義のどこが「問題」であり「政治的な逸脱」なのでしょうか?

逸脱の出発地点は(やはり)ネオリベラリズムを推し進めたレーガン&サッチャーです。政府の責任を小さくして、個人の裁量を増やす。成功するかどうかはあなた次第(政府ではなく)。保守政党は小さい政府を目指し、個人や企業の自由を拡大する傾向にありますからね。理解できます。レーガン政権もサッチャー政権も肥大した政府の赤字をなんとかしなければいけなかったですし、当時としては必要な舵きりだったでしょう。

レーガンからブッシュ政権の保守系の共和党政権に続いたのがクリントン政権とオバマ政権のリベラルな民主党政権でした。これはイギリスでも同じで、保守な保守党からリベラルな労働党に政権移行しました。しかし、アメリカのクリントン政権、オバマ政権、そしてイギリスのブレア政権はそれぞれ能力主義だけは継承したんです。むしろ、さらに推し進めました。能力主義をさらに推し進めることで、格差が更に広がりました。能力主義って格差を是正する仕組みではないですよね。貧しい家庭からでも成功できる。一方で能力のない人は貧しくなる。固定された格差を再構成する仕組みなんです。能力=学力(大学卒)です。トマ・ピケティの「バラモン左翼」は学歴偏重のリベラルの姿勢から命名されています。

なぜ、歴史的に労働者の味方だったリベラルがエリート主義とも言える能力主義に偏重したのでしょうか。保守もリベラルも能力主義が機能する二つの前提を信じています。そして、能力があれば成功することができる。

  1. 市場は公正な状態で運営されている
  2. 能力主義は生産性が高い

しかし、この前提自体が幻想だとマイケル・サンデルは指摘します。公正ではないし、生産性も高くない。能力主義は学歴主義でもあるのですが、ハーバード大学やイェール大学などトップの私立大学は裕福な家庭の出身者で占められている。大学入学に必要なSATのような標準テストは塾や個人指導で高得点が取れます。また、多額の寄付をしてくれる家庭の子女は優先枠があります。社会的流動性(social mobility)が担保されているからこそ、差別を肯定する。貧しい家庭でも努力すれば成功できるのが社会的流動性が高い社会ですが、現在の能力主義に社会的流動性はほぼありません。

能力主義は硬直した(流動性のない)格差を肯定している。これが問題点の一つです。しかし、問題点はそれだけではありません。能力があれば成功できる。そして、それは自分の努力の賜物。能力がなければ成功できない。その責任は自分が負う。本当でしょうか?

成功の要因は実際には努力や才能だけではなく、運や周りのサポートの要素も大きいわけです。例えば、バスケットボールの神様マイケル・ジョーダンがルネッサンスの時期に生まれたら?これは運の要素ですよね。他にも腕相撲のチャンピオンはなぜその能力だけで富を築くことができない?これもそう言う社会に生まれてきた運ですよね。学費の高い私学に通える家庭に生まれてきたこと自体も幸運ですよね。下駄を履いた成功者を崇め、ハンデを負った成功しない人たちには自己責任を押し付ける。これがもう一つの問題点です。

このような能力主義はネオリベラリズムに責任を押し付けがちですが、ネオリベラリズムって最初っからそうだったのでしょうか?

マイケル・サンデルが現在の能力主義を「政治的逸脱」とするのは、ネオリベラリズム以前の哲学的思想は、能力主義を否定していたからです。サンデルが比較するのは自由主義のリベラルの代表であるフリードリヒ・ハイエクと社会福祉思考のリベラルの代表であるジョン・ロールズです。ハイエクは政府の役割より市場の役割を大きくすべきとする古典的な保守ですし、ロールズは市場だけに任せずに政府の介入が必要だと考える古典的なリベラルです。面白いのはハイエクもロールズも思想的にはかなり違うのに、能力主義を否定するのは同じなことです。価値を決めるのは能力ではなく、市場だとハイエクもロールズも主張します。ハイエクは市場に全てを委ねるべきだと考え、ロールズは結果は再分配すべきだと考えます。

ハイエクとロールズは政治的立場は違えど、能力主義が収入や資産につながることを否定しました。能力があるから価値があるわけではない。それは自由に反する。

マイケル・サンデルは本書の後半はその解決策を提案しています。彼の考える理想主義的な解決方法もいいんだけど、やっぱり最終的にはユニバーサル・ベーシック・インカムしか解決方法はないんじゃないかとも思ってしまいました(竹中平蔵のなんちゃってベーシック・インカムじゃないですよ!)。