カタパルトスープレックス

興味がない人は無理して読まなくていいんだぜ。

書評|アナーキストから見た民主主義|"There Never Was a West" by David Graeber

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デヴィッド・グレーバーが59歳の若さでお亡くなりになりました。最近だと『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』が日本でも翻訳されて紹介されたばかりでした。本来でしたらこのブログでは日本未発表/未翻訳の作品しか取り上げないのですが、追悼の意を込めて特別に彼の過去の作品を紹介したいと思います。

今回はデヴィッド・グレーバーのエッセー集"Possibilities: Essays on Hierarchy, Rebellion and Desire"の中から資本主義の起源について書かれたエッセー"There Never Was a West"です。これだけ日本で翻訳され『民主主義の非西洋起源について』として出版されています。

Possibilities: Essays on Hierarchy, Rebellion, and Desire

Possibilities: Essays on Hierarchy, Rebellion, and Desire

  • 作者:Graeber, David
  • 発売日: 2007/12/26
  • メディア: ペーパーバック

デヴィッド・グレーバーは多くの人が当たり前と考える「常識」に挑戦します。『負債論』ではお金と借金の「当たり前」に挑戦し、『ブルシットジョブ』では仕事の「当たり前」に挑戦しました。本書で挑戦するのは「西洋」と「民主主義」です。

「民主主義の非西洋起源について」を議論する前に、デヴィッド・グレーバーは(多くの優れた論者がそうであるように)定義から入ります。民主主義ってなんですか?西洋ってなんですか?前回紹介した『負債論』もそうなのですが、歴史的な調査結果から分かったことを積み重ねて、定義をグラウンドアップで作り上げます。これがデヴィッド・グレーバーがユニークなところです。

デヴィッド・グレーバーは活動家でもあり、「ウォール街を占拠せよ」でも先導的な役割を果たしています。あの活動も彼にとっては直接行動、直接民主主義なんですよ。そう、彼はユニークな「民主主義」の考えを持っています。民主主義ってなんですかね?古代アテネが起源ですか?本当ですか?いまボクたちがイメージする「民主主義」は100年前も同じでしたか?答えはノーです(とデヴィッド・グレーバーは言ってます)。

多くの人が「西洋」からイメージするのはヨーロッパとアメリカでしょう。そして、「西洋」の一部であるギリシャのアテネから「民主主義」は生まれ、ヨーロッパで育ち、アメリカで具体的な形になった。その「常識」にデヴィッド・グレーバーは意を唱えます。ユーラシア大陸は三つのシステムからなり、一つが中国を中心とした東方システム、インドを中心とした南アジアシステム、そして、中東を起源とする西方システムです。文化が知識の連鎖(主に文字情報による)だとすれば、ヨーロッパに最終的に根付いた文化の多くの出発点はメソポタミア、つまり現在の中東であり西方システム(北太平洋システム)となります。

次に、民主主義がアテネで発明され、西洋で育ったのも違うとデヴィッド・グレイバーいいます。民主主義は世界のどこでも発生しうる。実際にアメリカのイロコイ族や北欧の海賊も民主的な制度を持っていました。デヴィッド・グレイバーによれば「民主主義」が発生する要因として二つあります。

  1. 決定に関して平等に発言権があるべきというコンセンサス
  2. 決定事項を実行に移す強制力

この二つはなかなか両立せず、特に二番目の強制力は多くの場合は「暴力」を伴います。それゆえに直接民主主義は軍事的な起源を持つことが多いのだそうです。実際に民主主義がヨーロッパを含む北太平洋システムでポジティブな言葉として捉えられるようになったのは比較的最近だといいます。18世紀末にヨーロッパの人たちが「民主主義」を知ったのはトマス・ホッブズが翻訳したトゥキディデス『戦記』だそうです。アメリカの制度が意識したのはローマの共和制であり、民主主義ではありませんでした。民主主義を全面的に押し出したのは第7代アメリカ大統領となったアンドリュー・ジャクソンからで、それすら「共和制」を「民主主義」に置き換えただけだとデヴィッド・グレーバーは指摘します。

本書は元々は一冊の本の一部のエッセーなので、グレーバーにしては短い作品となっています。しかし、簡単に読み進めることはできません。彼が主張することはオーソドックスではなく、そのために様々な知識を総動員して論証します。知らない情報がたくさん出てくるので、いちいち調べながら進めないと意味がよくわからなくなってきます。デヴィッド・グレーバーが専門としていたのは文化人類学ですが、文化人類学自体が雑学の集合体みたいなところがあるとボクは思っています。やはり、惜しい人をなくしたと思います。