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興味がない人は無理して読まなくていいんだぜ。

書評|アメリカ新自由主義の象徴であるコーク兄弟はいかに富を築いたか?|"Kochland" by Christopher Leonard

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アメリカのお金持ちといえばビル・ゲイツやウォーレン・バフェット、最近だとアマゾンのジェフ・ベゾスを思い浮かべる人が多いと思います。チャールズ・コークとデイビット・コークのコーク兄弟を思い浮かべる人は少ない(世界長者番付でそれぞれ八位と九位)ですよね。これはコーク兄弟が代表するのが石油化学などのオールドマネーで、彼らの中心企業であるコーク・インダストリーズが非上場企業だからだと思います。

しかしながら、彼らの政治への影響力は無視できないレベルまで高まってきています。アメリカがパリ協定を脱退したり、温暖化を否定するのはコーク兄弟を中心とするアメリカのオールドマネー勢のロビー活動の力が大きく働いているからです。

今回紹介する"Kochland"を理解するには現在のアメリカの新自由主義の台頭と政治システムを理解する必要があります。トランプ政権の誕生は衝撃的でしたが、それも現在の大きな流れから生まれた現象のひとつでしかありません。

Kochland

Kochland

本書の書評に入る前に、まずは簡単にアメリカの政治に関する現状を解説します。

管理から自由へのなだらかなシフト

中国は共産党の一党独裁の中央集約的なシステムです。一方、アメリカは権力がバランスよく分散されて、分散的なシステムだと一般的には認識されています。具体的には政府の干渉が少ない自由市場にゆだねる「小さな政府」共和党と、政府が自由市場を尊重しつつも、政府として公平性を保つ「大きな政府」民主党がシーソーのように政権を担うことによってバランスをとっています。自由と管理のシーソーゲームです。レッセ・フェールからニューディールと時代に合わせ、公平で民主的な選挙により、アメリカが「極端な自由」や「極端な管理」に振れすぎないようになっていました。

ニューディール以後、80年代の米レーガン・英サッチャーから時代は「自由」の方向に現在まで振れ続けます。これがシカゴ学派を代表とする新自由主義の流れです。クリントン、オバマの民主党政権の時も比較的「大きな政府」ではありましたが、市場にゆだねる自由の流れに逆らうようなことはしませんでした。それでもオバマ大統領時代は民主党が行政だけでなく、議会も民主党が過半数を制したため、オバマケアなど社会保障が充実した時期でした。しかし、この「オバマショック」で目を覚ましてしまったのがコーク兄弟をはじめとする完全自由主義者であるリバタリアン達でした。

自由が増えると格差も増える

自由という言葉は響きはいいのですが、すべてを市場の自由に委ねていると格差が広がります。経済は成長するのですが、格差も広がる。痛し痒しの関係です。格差問題に関してはアナンド・ギリダラダスの"Winners Take All"でも解説されていますし、ティム・ウーの"The Curse of Bigness"も格差が前提にあっての独占禁止法の無力化への批判でした。

ビル・マッキベンの"Falter"ローレンス・レッシグの"America, Compromised"でも指摘されていますが、市場主義を政治に持ち込もうとする勢力が台頭しつつあります。政治の市場主義とは、つまり、お金の力で政治をコントロールするという意味です。払う税金の額によって投票の重み付けをすべきとか。金持ちの票が貧乏人の票より重い。

コーク兄弟は秘密結社の親玉か?

メディアアーティスト落合陽一さんのお父様の落合信彦さんはアメリカの軍産複合体の脅威を叫んでいましたが(あ、今でも叫んでいますね)、なんか陰謀説っぽかったですよね。人は見えないものを恐れます。しかし、実際に内情を覗いてみれば、見えない力が暗躍しているというよりは、普通の企業が企業努力として政治に影響を与えようとしているだけだったりします。単に利益追及も過ぎると犯罪になる。ただそれだけのことなのですが、その単純さがむしろ恐ろしい。

コーク兄弟の政治干渉とその影響力の大きさに関しては、すでにジェイン・メイヤー著『ダーク・マネー』やダニエル・シュルマン著『アメリカの真の支配者 コーク一族』で詳しく解説されています。いわゆるロビー活動だけではなく、ヘリテージ財団ケイトー研究所などのシンクタンクを通じて政策に影響を与える活動をします。

コーク兄弟のネットワークにいる富裕層の多くは「インビジブルリッチ」と呼ばれるプライベート企業のオーナーです。リバタリアンで、干渉を嫌い、株式上場しません。コーク・インダストリーズも同じですね。リバタリアンで政府の干渉を嫌うという共通点はありますが、一枚岩というわけではありませんし、万能の力を持っているわけでもありません。事実、彼らはドナルド・トランプを支持していませんでしたが、トランプは大統領選で勝ってしまいました。議会には息のかかった政治家をたくさん送り込んでいるでしょうけどね。

ダーク・マネー

ダーク・マネー

アメリカの真の支配者 コーク一族

アメリカの真の支配者 コーク一族

 

で、ここまでが本書"Kochland"を正しく理解するための前提知識です。あー、長かった。

そもそもなんでこんなに成功した?

"Kochland"はいわゆる政治の黒幕としてのコーク兄弟ではなく、成功した実業家としてのコーク兄弟に光を当てています。そもそも、なんでこんなに儲かってるの?コーク・インダストリーズの年間売り上げはフェイスブック、ゴールドマンサックス、USスチールを合わせたより大きいです。チャールズとデビッドのコーク兄弟はこの80%の株式を所有していました(デビット・コークは2019年8月に亡くなったので、今はその家族)。二人合わせた資産価値は1200億ドル(約13兆円)にものぼりました。これはアマゾン創業者ジェフ・ベゾスやマイクロソフト創業者ビル・ゲイツより多い額です。破壊的なイノベーションではなく、長い時間をかけて積み上げてきた富です。この長いプロセスを理解しようというのが本書"Kochland"の趣旨です。

まず、コーク・インダストリーズはどういう会社なのかを簡単に解説します。石油はエクソンやシェルなどのオイルメジャーが原油を採掘します。採掘された原油はそのままでは使えないので、ガソリンやプラスチックのような商品になる前に精製しなければいけません。そのために採掘場から精製場に運ばなければいけません。それがタンカーやパイプラインです。コーク・インダストリーズはこのパイプラインをおさえていました。オイルメジャーですらコーク・インダストリーズを必要としていました。

チャールズ・コークはもともと家業を引き継ぐことに積極的ではありませんでした。しかし、説得に負けて父親の会社に入社したのが1961年。父親の急死によりコーク・インダストリーズを引き継いだのが1964年でした。時代はニューディール真っ只中。ニューディールは今の新自由主義とは真逆の政府による強い管理を前面に押し出した政策でした。そんな中でも企業は自由を求めて様々な活動をします。コーク・インダストリーズの成功を簡単にまとめると以下に集約されるでしょう。

コーク・インダストリーズは干渉を避けるために、なるべく目立たないように企業活動を行ってきました。それゆえに一般的にはあまり知られていなかったのですが、とても革新的な企業で、いまのスタートアップ的な手法を積極的に取り入れていました。ある意味、スタートアップでもありベンチャーキャピタルでもあり、金融機関でもあります。

デリバティブにまで手を広げながらも、2008年の世界金融危機(いわゆるリーマンショック)ではValue At Risk Limit(VAR)でリスクの上限を設定していたため、他の金融機関と比べてダメージは少なかった方ですが、2000人のリストラを実施しました。それでも利益を出したってすごいですけどね。この時の戦略がコンタンゴ・ストレージ・プレイ(またはコンタンゴ操作)でした。これはコーク・インダストリーズが現物と先物の両方の取引をやっていたからです。

悪名という名のイノベーションとディスラプション

成長した理由だけを取り出してみると、とてもいい企業な印象を受けます。しかしながら、コーク・インダストリーズは一般的にはあまりいい印象を持たれていません。それは、貪欲な利益追求体質が様々な問題を引き起こしたからです。例えば、コーク・インダストリーズはいち早く労働組合の無力化に取り組みました。アメリカのミドルクラスは労働組合に参加する労働者でかなりの部分が構成されていました。工場で働いていても家を持ち、子供をいい学校に通わせることができました。コーク・インダストリーズが積極的に労働組合の無力化を行わずとも、ニューディールから新自由主義への変化の流れの中で、労働組合は無力化されたのだとは思います。

そもそも、石油は儲かる商売です。パイプラインや精製場は大きな投資が必要なため、参入障壁が非常に高いビジネスでもあります。つまり、巨額の設備投資が必要になります。さらに石油に関わる施設は廃棄物や温暖化ガスを抑えるために、環境規制に準拠した施設を備える必要があります。コーク・インダストリーズは設備投資をおさえて利益を最大化するために、この規制の抜け道を見つけて環境規制関連法案を無力化することに熱心でした。

また、利益を優先するために環境対策を怠り、大きな環境破壊の事件を起こしました。そのため1999年から2003年にかけて4億ドル以上の罰金を支払っています。コーク・インダストリーズでは利益の原動力である生産部門が強い力を持ち、環境担当などの間接部門はアドバイスしかできず、強制力を持ちませんでした。そのため、施設に問題があって環境問題が起きていても、生産が優先されて政府で定められている有害物質の排出量が守られていなくてもあらゆる方法でそれを隠し続けていました。また、採掘場から精油場に運ぶ時に過小評価をして実際に運んだ量より少ない量を申告していました。社員のモラル低下を招いたのがマーケット・ベースド・マネージメントだと考えられました。

政治の介入を防ぎための政治への介入

『ダーク・マネー』や『アメリカの真の支配者』ですでに解説されていますが、チャールズ・コークが政治への介入を表舞台に立ってはじめたのは民主党のオバマ政権が生まれてからです。政治が自由市場に介入するニューディール時代に戻るのではないかと危機感を感じました。特に地球温暖化が世界で問題となり、アメリカがパリ協定京都議定書に参加することに大きな不満を感じました。

コーク・インダストリーが政治への影響力を発揮するために作り上げた仕組みは蛸の足のように多岐にわたるためコークトパスと呼ばれています。初期の取り組みは1996年に設立された、Economic Education Trustです。まず、この基金にお金を集めます。この基金自体は政治団体ではないため、資金提供者の開示義務がありません。ここからTriad Management Serviceに献金されます。Triad Management Serviceは特定の共和党議員に無償で様々なサービスを提供する団体でした。このほかにもAmerican Legislative Exchange Councilは保守派の州議員のための組織で、規制緩和を求める企業の多くが献金しています。

この本はどんな人にオススメか

まず、この本はとても重厚です。ページ数で704ページ、オーディオで23時間です。コーク・インダストリーズの歴史本なので、気になる章だけ読んでもあまり意味がありません。全体像が見えないからです。そのため、読むにはかなりの気合いが必要です。オーディオブックの早送り再生をしなければ、ボクもかなり時間がかかったと思います。それでも、経営に携わる人には強くオススメしたいです。

コーク・インダストリーズの歴史を振り返ると、オリンパス事件東芝の不正会計三菱自動車の繰り返される不正体質などが頭をよぎります。リバタリアンは透明性を嫌いますが、透明性が低いとモラルも低下するのですね。新自由主義者が言うように、市場の方が官僚よりも効率的なのかもしれません。しかし、効率ばかりを求めてしまうと、その組織の視野でしか物事が見れず、環境や社会などより広い視野で判断できなくなります。

コーク・インダストリーズを率いるチャールズ・コークも2019年現在で84歳。弟のデヴィッドも亡くなりましたし、彼自身もそろそろ引退時期です。コーク・インダストリーズの象徴であり、理念の柱であるチャールズ・コークがいなくなった時、コーク・インダストリーズはどのような方向へ進むのでしょうか。

また、次のチャールズ・コークはどこから現れてもおかしくありません。ペイパル・ギャングの親玉ピーター・ティールなんてそうですよね。マーク・ザッカーバーグやラリー・ペイジが次のチャールズ・コークになる可能性だってあるのです。不正と利益の境界線はとても曖昧なのですから。